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[ 撮影スポット ]

2024.03.05

【康生さんぽ】全国でも珍しい木製アーケードの先に広がる、昭和の路地裏の香り。(松應寺横丁/松本町)

康生エリアから北に位置する松本町の一角に、松應寺横丁があります。

この一帯は、江戸時代には、徳川家康の父・松平広忠公の廟所がある松應寺(しょうおうじ)を中心に、信徒たちが集まってできた「門前町(もんぜんまち)」でした。
その後、明治時代の末期から昭和の中期には、岡崎を代表する花街として栄えたという歴史があります。

岡崎空襲でまちの8割が燃えてしまいましたが、終戦後、闇市発祥の商店街が形成されていき、松應寺の境内の中に約 50 軒の木造建物が作られました。

お寺の境内の中にある町には、今なお昭和の路地裏の懐かしい街並みが残り、まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができます。

今日は、このノスタルジーあふれるスポット、「松應寺横丁(しょうおうじよこちょう)」をご紹介しようと思います。

全国でも数少ない、木製のアーケードが残る。

全国でも数少ない、木製のアーケードが残る。

松應寺の参道は、周囲の建物と一体になった木造アーケードになっています。
このような形状のアーケードが現存していることは日本国内でも珍しく、建造物としても大変貴重なものだそう。
2013年には、国際現代美術展「あいちトリエンナーレ」の会場のひとつにもなりました。

木造アーケードは40メートルほど。
ライトなどの灯りはなく、先に見える松應寺の本堂に向かって薄暗い参道を潜り抜けると、古い木造建築が立ち並ぶの路地裏に出ます。
まるで、トンネルを通ってタイムスリップしているような感覚です。

昭和の木造建築が残る街並み

昭和の木造建築が残る街並み

松本町の花街としての歴史は、明治38年に蛭川吉之助氏が末広という芸妓置屋を開業したのが始まりです。
大正8年には、松本町が芸妓置屋の指定地とされ、同じ年に「鶴島館」という岡崎で一番大きな宴会場が完成し、岡崎を代表する花街になりました。

小さな町にもかかわらず、昭和10年頃の記録に「芸妓置屋36軒、芸妓数250余名、料理や60余店」とあることから、当時は相当に華やかで活気あふれる町だったに違いありません。

空襲によって焼け野原となったあとは、境内を中心に闇市が立ったのをきっかけに、今度はひしめきあうように木造の商店街が立ち並んでいきます。

上の写真のお店は、「なかみせ亭」という展示スペース併設のカフェ。
花街時代には「美よし」という料亭だったところで、空き家になっていた築六十年を超える木造建物を活用して、2012年にオープンしました。
みたらしだんごや五平もち、鉄板ナポリタンが人気のお店です。

松應寺横丁は、道路幅が狭いために建て替えが困難なこともあり、空き家が放置され、時代に取り残されていた場所です。
しかし、再び活気を取り戻そうと、松應寺や住民らが2011年にイベントを開いたのがきっかけに、地域ぐるみのまちおこしが始まりました。

なかみせ亭は、空き家への出店1号店であり、その後も「TERAKADO COFFEE」などを始めとした多くのお店がオープンし、古い木造家屋の魅力を生かした店づくりをしています。

街を歩くとそこかしこに、現在では見られないような味のある風景が広がっています。
例えば、このアルミのシェードと裸電球のランプ。
昭和の時代に、路地裏を歩く人々を照らしていたのだろうかと想像すると、ノスタルジーな空気を感じることができます。

松應寺横丁は、岡崎の中心街の中でも、古きよき昭和の雰囲気を感じられる名所の一つとなっています。
出店するお店は、昭和の看板やアンティーク品で路地裏の景観を作り出していて、最近では散策を楽しんだり、写真を撮って歩く人たちを見かけるようになりました。

狭い路地の中には、カフェやケーキ屋さん、古本、古着、ハンドメイド雑貨などを扱うお店があり、店主さんとお喋りしたり、お店の商品を眺めたりしているうちに、あっという間に半日が過ぎてしまうので、好きな人には「沼」なスポットかもしれません。

毎月第3土曜には、松應寺横丁のプチ縁日「花まちフェスタ」が開催されています。

手作り雑貨が並ぶフリーマーケット、横丁内の飲食店・カフェ・ケーキ屋さんなどが提供するグルメ、太子堂前で行われるミニライブなどでにぎわい、かつての花街を彷彿とさせるような活気を感じることができます。

※松應寺横丁もりあげ隊のX(旧Twitter)より、一部写真を引用させていただきました

(イベント情報やお店の出店情報などは、下記リンクよりご覧になれます)

▶松應寺横丁 もりあげ隊

松應寺(しょうおうじ)と太子堂(たいしどう)

松應寺(しょうおうじ)と太子堂(たいしどう)

1549年(天文18年)、岡崎城内で家臣に刺されて、徳川家康公のお父さん・広忠公は亡くなってしまい、能見にある「月光庵(げっこうあん)」へ埋葬されました。

当時、今川の人質だった家康公は、移動の最中に月光庵への立ち寄りを許されて、大急ぎでお墓参りをし、墓の上に小さな松を植えて誓いました。
「今はしがない人質の身だけれども、いつか自分が立派になり、我が一族をきっと繁栄させてみせる」と。

時は流れ、1560年(永禄3年)に岡崎城主としてこの地に戻った家康公は、再び月光庵を訪れ、大きく成長し枝葉を広げる、約束の松と再会しました。
家康公は、人質だった自分が岡崎城の主という立派な立場で三河の地に帰ってこれたことを喜んで、
「我が祈念に応ずる松なり」
として、月光庵の地に新たに寺院を建立し、寺号を松應寺(祈りに応じる松のある寺)としたのが、このお寺の名の由来となっています。

▶松應寺の詳細情報はコチラ

松應寺の境内から少し離れた路地裏の奥に、聖徳太子を祀った太子堂(たいしどう)があります。こちらは1805年に建立されたものです。

太子堂の天井画はとても華やかで美しく、一見の価値があります。
過去には「聖徳太子の月命日(毎月22日)には基本的には開帳している」という松應寺さんのSNS投稿もあったので、確実に見たいという方は松應寺さんに御開帳の日を尋ねてみると良いかもしれません。

今日は昭和の街並みが残る、「松應寺横丁(しょうおうじよこちょう)についてご紹介してみました。
ここの路地裏を歩いていると、時間がゆっくりに感じられるから不思議です。
まちおこしでよみがえったレトロな商店街や、この場所が歩んできた歴史、松應寺の寺号の由来など、面白さ満載のスポットなので、歩く際はいろんな発見を楽しんでみてくださいね。

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※松應寺横丁は神聖な松應寺境内となります。大声で騒がない等宗教上の配慮をすると共に、お写真等撮られる際は住民のプライバシーを守るため家屋の撮影はおやめください。

この記事で紹介されたスポット

松應寺

松本町 御朱印

神社・お寺

TEL : 0564226863

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松應寺横丁 木造アーケード

松本町 アーケード

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松應寺横丁

松本町 昭和レトロ、お寺、境内

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松應寺横丁花まちフェスタ

松本町 松應寺横丁プチ縁日、ミニライブ、フリーマーケット

体験

TEL : 07054407488

休 : 毎月第3土曜日のみ開催

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花街建築と古いランプ

松本町 ランプ、レトロ

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