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[ スイーツ ]
2022.02.07
【お店】歴史が由来となったお菓子5選 -備前屋編-
江戸時代中期の天明二年創業。
二百年以上も製菓業を営んできたのが岡崎が誇る『備前屋』です。
その屋号は、岡崎城の一区画『備前廓』からきています。岡崎城代官として仁政を施した『伊奈 備前守 忠次』に由来するものでしょう。
この記事では、歴史のテーマパークである備前屋さんで販売されている商品の中から、岡崎城や岡崎宿伝馬町、古代から近代に至るまでの、「歴史に由来を持つお菓子」を5つご紹介します。
1.非時香菓(ときじくのかぐのこのみ) 4個入 ¥594(税込)
難しい名前ですが、日本書紀の垂仁紀に、田道間守(たじまもり)が天皇のために求めた不老不死の果実の名前です。橘の実のことだとも言われています。
田道間守が常世国(不老不死の理想郷)でこの実を手に入れ、戻った時には、既に天皇は亡くなっていた…という悲しい物語ですが、この伝説から、田道間守は菓子神・菓祖として祀られています。
備前屋さんの「非時香菓」は、栗(2種)、梅、金柑(金橘)の焼饅頭です。
【栗ころ】栗が一粒入り。白餡で、艶を付けたものと、小豆こし餡にシナモンをたっぷりかけたものが2種類あります。
【青梅】梅餡に種抜き青梅が入った、クッキー生地のお饅頭です。
【金柑】黄身餡に桃山生地で金柑を包んだお饅頭です。
2.真福もち(しんぷくもち) ¥237(税込)
岡崎市北部にある真福寺は、物部真福(もののべのまさち)の創建。蘇我氏と争い敗れた物部守屋の次男・真福は父のため、聖徳太子の許しを得て、この三河の地に真福寺を開山しました。
本尊の薬師如来の威光か、物部真福は「真福長者」と呼ばれるほど裕福で長生きし、真福寺もまた千年を超えて今に伝えられていることから、縁起の良い名として今に伝えられています。
真福もちの菓銘は、岡崎の誇るこの名前を由来としています。
独自の製法で炊きあげたきめ細やかなこしあんを、柔らかなお餅に絡めたお菓子です。カップに餡と餅が入っているので、手軽にそのまま食べても良いし、お皿に出してお客様にお出ししても、喜ばれると思います。
3.浄瑠璃姫(じょうるりひめ) ¥432(税込)
「浄瑠璃」という言葉の由来になったともいわれるこの物語は、琵琶法師によって節をつけて語られ、人々に愛されました。
矢作(やはぎ:現在の愛知県岡崎市)で、美しい浄瑠璃姫を垣間見た源義経は、夜ふけに姫の寝所に忍び結ばれ、夜明けには名残を惜しみつつ別れます。旅の途中、病に倒れた源義経のもとに、鎌倉若宮八幡から伝言を告げられた姫が駆け付け祈念すると、源義経は蘇生しました。
再び分かれる事となった二人。3年後、軍勢を催して上京する途中、源義経は姫を訪ねますが、姫はすでに亡く(義経に会えない事を儚んで、乙川に入水したともいわれる)、供養のために寺を建立し都へ攻め上りました。
この悲しい物語を、伝統の「琥珀羹」を多様なフレーバーと色で「浄瑠璃姫」の歴史恋物語の華やかさを表現しています。
※人気商品のため、売り切れる場合があります。詳しくはスタッフにさんお尋ねください。
4.二十七曲りせんべい(にじゅうななまがりせんべい) ¥108(税込)
家康公が江戸に移封された後、岡崎城主となった田中吉政は、岡崎の町を大改革し、東海道を町に引き入れました。岡崎城を避けるため、また防衛のために何度も折れ曲がった道は「二十七曲り」と呼ばれ、街沿いにたくさんの商家が発展しました。
二十七曲りせんべいは「七回曲がったせんべい」を「二重」にすることで、二十七曲りを表現しているとのことで、波うったワッフル生地にクリームを挟んだお菓子です。
通常、バニラ・抹茶の2種類がありますが、季節によっては苺やレモンクリームも販売されます。
5.駒牽朱印(こまびきしゅいん) 4枚入 ¥345(税込)
店舗北側の壁にある、馬と人のユーモラスな図案。お菓子のモチーフにもなっているこの図案は、公用で伝馬の馬や人足を使うときの許可証に押されていた『駒牽朱印』(こまびきしゅいん)という印判です。
難しい漢字を読めない人足にも、これが伝馬の許可証であると見てすぐに分かるように、図案で表したのだそうです。岡崎宿伝馬の象徴のようなお菓子です。
駒牽朱印がプリントされた袋に入っているのは、胡麻入りのしっとりとした薄焼き煎餅で、こし餡入りの大福饅頭を挟んだ、軟らかく歯切れ良いのが特徴です。
歴史が由来になったお菓子は、いかがでしたか?
備前屋さんの菓名は凝ったものが多く、そこにエピソードや思いが込められていることに気付くと、お菓子をいただく時間がちょっと特別なものに感じられます。
お話のネタとしても面白いので、この記事でご紹介したお菓子をお客様にお出しする時は、ちょっとした話題として添えてみるのはいかがでしょうか。
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