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[ 企画 ]
2024-07-13
【岡崎の伝統】江戸時代から受け継がれ続ける「菅生まつり」に行ってみよう!
全国的に有名な岡崎の花火大会。約20,000発の花火がダイナミックに打ち上げられ、毎年多くの人でにぎわう岡崎の名物イベントです。しかしこの花火大会、実は「二つ」のお祭りが合同で開催されていることは、あまり知られていません。
この記事では、江戸時代から岡崎・康生エリアの氏子たちに受け継がれている、もう一つの伝統の祭事、「菅生祭り」をクローズアップしてお届けします。
戦国時代から一転、戦いがなくなり泰平を迎えた江戸時代。
一揆や反乱を抑えるために、徳川幕府は火薬の取り扱いを厳しく取り締まりましたが、徳川発祥の地である岡崎と三河地方は唯一、火薬の製造・貯蔵が公式に許可されていました。
そのため、花火を専門に扱う「火薬屋」が登場し、娯楽としての花火文化が発達したといわれています。
これが、「三河地方が日本花火の発祥の地」といわれる由縁です。
毎年夏の終わりに菅生神社が執り行う、菅生祭りの『鉾船奉納神事(ほこぶねほうのうしんじ)』は、江戸時代後期からこの土地の氏子たちに脈々と受け継がれる伝統行事です。
夜空を彩る大輪の花火の足元で、菅生川(乙川)に浮かぶ船の上から、勇ましい掛け声とともに手筒花火が打ち上げられる様はとても力強く、幻想的な魅力があります。
【写真提供・取材協力】
菅生神社、岡崎活性化本部、㈱宝金堂、ブティック中屋
菅生祭りをディープに楽しむなら、「祭りは3日間行くべし」
花火大会の日に菅生川(乙川)で鉾船から打ち上がる花火は、実は菅生祭りの最後の祭事です。他にも何日かに分けて関連祭事&行事が執り行われています。
宵宮祭:7/19(菅生神社)
例大祭:7/20(菅生神社)
鉾船奉納神事:8/3(菅生神社・乙川)
伝統を肌で身近に感じたいなら、菅生神社の境内で氏子たちが手筒花火を奉納する「宵宮祭」がおすすめ。
最後に、冒頭でご紹介した花火大会と同時に開催される「鉾船奉納神事」は菅生祭り最大の目玉。見逃し厳禁の、非常に価値あるお祭りです。
ここからは、菅生祭りをもっと深く楽しむために、【菅生祭り用語】を順番にご紹介していきます。
【菅生祭り用語辞典①】練り込み(ねりこみ)※2024年は8/3の15:00頃から桜城橋から菅生神社で行います
氏子衆が長持ち唄を歌い、掛け声に合わせて、威勢よく足をけり上げながら神社まで奉納花火を運ぶのが「練り込み」です。
毎年、練り込み行列を行うのは、「菅生・本町・康生・祐金・六地蔵・籠田」の六つの町。連尺は奉納神事には参加していますが、練り込みは現在行っていません。
ちなみに、各町にはそれぞれトレードマークがあるとのこと。
★籠田:「瓢箪 ひさご」/ひさご=ひょうたんのこと。籠田の氏子衆は「ひさご連」の通称を持っていますが、はっぴなどに瓢箪印が見当たらないのが不思議。
★連尺:「ふくら雀」/連尺通は昔から承認のまちで、背負子(しょいこ)を背負った行商人をスズメと呼んでいたことが由来です。
★東南康生:「三つ団子」/この辺り一帯が武家屋敷だった事から、槍に串刺しになった頭という一説も…?(詳細は不明、情報求む)
★本町:「五芒星」/本町には陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社があります。陰陽道では五芒星は強力な魔除けを意味しています。
【菅生祭り用語辞典②】長持ち(ながもち)
奉納用の手筒花火を納め、神社まで運ぶための入れ物を「長持ち」といいます。
「なる」という非常に長い竿の中央に、花火を収める箱が結わえられており、練りこみの際は、この「なる」を綺麗にしならせる技なども披露されます。
裏話としては、昔は長持ちの中に本物の花火が収められていましたが、火薬が危険という事で、現在は箱の中が空になっています。
また、この行事を次の世代へ受け継いでいくための工夫として、子ども用の″ミニサイズの長持ち″が用意されています。小さな子どもたちがミニ長持ちを背負い、一人前に街を練り歩く姿はとても可愛くて微笑ましい光景です。
【菅生祭り用語辞典③】長持ち唄(ながもちうた)
練り込み行列に合せて「ほら~ほいっ、ほら~ほいっ」と、独特の掛け声と共に唄が歌われます。こちら、録音ではなく「生歌」なのがポイント。
大きな携帯スピーカーを抱えた唄い手が、町中に気持ちよく声を響かせます。
どの町も基本同じ唄と踊りですが、イントネーションや細かい歌詞、踊り方が町ごとに違っているため、じっくり見比べると飽きる事がありません。
氏子の列が菅生神社に到着し、無事花火の奉納が済むと、今度は「帰り唄」が歌われます。タイミングが良ければ、この歌に合わせて氏子の一行が町へと帰っていく様子を見学することもできます。
【菅生祭り用語辞典④】鉾船(ほこぶね)
菅生川(乙川)で花火を打ち上げ、菅生神社に祀られている須佐之男命(すさのおのみこと)に、疫病よけと地域の繁栄を祈願する、“鉾船奉納神事”。
そこで使われるのが、たくさんの提灯がついた「鉾船(ほこぶね)」です。
昔は各町内がそれぞれ船を所有していましたが、現在は二艘のみ(天王丸・菅生丸)が残っているそうです。
近年、二艘の鉾船が、互いにトランシーバーで連携を取り合い、何種類もある花火を息ピッタリに奉納するパフォーマンスも行われていて、より力強さやダイナミックさが増しているのも、見どころの一つとなっています。
2024年は、菅生丸に康生連が当番町として乗船し、花火の奉納を行います。
【菅生祭り用語辞典⑤】奉納花火(ほうのうはなび)
奉納花火は「手筒花火」「金魚花火」「乱玉」「大のし」の4種類。以下に、それぞれの特徴を紹介します。
■手筒花火/勢いよく火花が上がる筒を、氏子が両手に持つ事で奉納を行います。「わっしょいっ」と威勢のよい掛け声が響き、大量の火の粉が降り注ぐ中でも、氏子たちは決して筒を放しません。
■金魚花火/鉾船の上から川面に投げ込まれると、まるで金魚がふよふよと遊泳するように動く伝統の花火。その優美な姿は非常に幻想的で、岡崎花火の名物となっています。
■乱玉/赤と緑の火の玉が頭上高く次々と打ちあがります。勢い付いてくると太い火柱がゴウゴウとそびえ立つ、大迫力の花火です。
■大のし/大型の手筒花火です。これまで火薬量は1200gだったのが、近年1800gに増量した大型サイズが復活しました。
これら伝統の三河花火には、現代の大型花火とは違った風流さ、美しさを感じる事が出来ます。
江戸後期から続く、貴重な文化「菅生祭り」
菅生祭りは歴史としてかなり古く、江戸時代後期に氏子たちが町内ごとに花火を作って、菅生川(乙川)に浮かべた船から花火を奉納したのが始まりだそう。お囃子と一緒に川をくだり、神社の前に鉾船を付けると、そのへさきを神社に向けて花火を奉納していた事が伝わっています。
この貴重な伝統文化を絶やさないために、実はこれまでに様々な苦労がありました。
岡崎空襲に見舞われた1945年(昭和20年)7月19日は、宵宮祭の日。祭りの後、皆が寝静まった深夜に起きた悲劇でした。終戦翌年の夏、当時の菅生神社の宮司さんが蒲郡に設置されていたGHQ(敗戦後の日本を占領統治した組織)へ出向いて祭りの許可を取り付け、五十発の花火を打ち揚げることで、なんとか祭りのバトンを繋いだといいます。焼け野原を前に、生きる事で精いっぱいだった当時においても、長く地域に根付いた文化を絶やさないための強い想いと働きかけで、祭りは途絶える事無く生き延びる事が出来ました。
戦後、時代がようやく一息ついた頃、船から花火を奉納する「鉾船神事」を、岡崎城下家康公夏祭りと共催で行う現在の形に落ち着いたそう。
大正、昭和の時代には、祭りの中で死者を出す事故があり、火薬を減らす、長持ちを空にする等の対処を取らざるを得ない事もありました。
また基本的に、奉納神事は女人禁制でしたが、近年は流れが少しずつ変化し、手筒花火を女性が持つという試みも始まっています。
伝統行事は、生きた人間が受け継ぐもの。
この貴重な文化遺産を今日の私達が目の当たりに出来るのは、祭りを愛する地元の人々が数百年に渡って伝統を「保存」してきた熱意のたまものと知れば、今年の夏祭りはまた一味違った楽しみ方ができるかもしれません。
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[ 企画 ]
【岡崎の伝統】江戸時代から受け継がれ続ける「菅生まつり」に行ってみよう!
- WEB
- http://sugojinja.jp/sugo-matsuri.html
- 問合せ
- 0564-23-2506(菅生神社)
- その他
- <開催日>
■宵宮祭/毎年7月19日
■例大祭/毎年7月20日
■練り込み行列/毎年花火大会前日(※2024年は7月19日に菅生神社で開催)
■鉾船奉納神事/毎年8月第1土曜日(※2024年は8月3日)
<詳細>
■宵宮祭/菅生神社 17:00宵宮祭典、17:40子供奉納花火、19:00手筒奉納花火
■例大祭/菅生神社 14:00
■鉾船奉納神事/18:50頃より菅生川(乙川)にて開始
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①菅生神社