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2022-06-04

【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち③

【八丁味噌】は、米麹や麦麹を用いず、原料大豆の全てを麹にした豆麹で作られる豆みそで、江戸時代初期より愛知県岡崎市八帖町(旧八丁村)で造られたことより、「八丁味噌」と呼ばれるようになりました。

なお、徳川家康公の茶道役の石川金阿弥という人物が、家康公に住家の場所を聞かれ「大手(岡崎城)より八丁あまりあります」と答えたことから、この地が「八丁村」と呼ばれるようになったという説があります。このことより、家康公がいたからこそ「八丁味噌」の名称が生まれたとも考えられます。

この、岡崎が誇る伝統調味料は、長い歴史の中で多くの人々に親しまれてきました。
カクキュー八丁味噌の史料室、及び史料館には「荷物発送簿、領収書、払込通知書」等、多くの資料が残っています。その中で、明治期から昭和期にかけて八丁味噌を愛用した著名人たちを、資料写真と共に「カクキュー八丁味噌公式サイト」より引用してご紹介します。

【引用元】カクキュー八丁味噌を愛した著名人

日本赤十字社の創始者を生み出した『大給家(おぎゅうけ)』

日本赤十字社の創始者を生み出した『大給家(おぎゅうけ)』

~大給 恒(松平乗謨)~

1839年(天保10年)~1910年(明治43年)
東京都出身。伯爵。賞勲局総裁・博愛社(後の日本赤十字社)創設。

旧名は松平乗謨と言い、三河松平一族の最後の奥殿藩主(愛知県岡崎市)。後に信州田野口(長野県佐久市)へ本拠地を移転し、西洋式の五稜郭を築城しました。

明治政府にも出仕し、貴族院議員、賞勲局総裁ら要職を歴任し、日本の賞勲制度の確立に尽力しました。

西南戦争(明治10年)の際に佐野常民と後の日本赤十字社の礎となった救護団体「博愛社」を創設。佐野が「日赤の父」と呼ばれたのに対し、大給は「日赤の母」と呼ばれました。

カクキューの史料室には昭和初期にお客様の御用命により大給伯爵邸に味噌をお送りした記録が残っています。宛先は東京都。

また、明治39年に17代早川久右衛門が賞勲局総裁当時の大給恒から賜った賞状が残されています。

岡崎で青春時代を過ごしたベストセラー小説作家『尾崎士郎(おざきしろう)』

岡崎で青春時代を過ごしたベストセラー小説作家『尾崎士郎(おざきしろう)』

1898年(明治31年)~1964年(昭和39年)
愛知県出身。小説家。代表作は「人生劇場」。

カクキューの史料室には昭和20年代にお客様の御用命により、尾崎士郎の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都大田区。

自宅にあった書斎が現在、西尾市の尾崎士郎記念館の東側に移築されています。尚、隣にカクキューと取引のあった旧糟谷邸が有るので併せて見学することができます。

大ベストセラーとなった代表作「人生劇場・青春篇」には、岡崎が描写されています。士郎は旧愛知県第二尋常中学校(現在の愛知県立岡崎高等学校)に学び、岡崎で青春時代を過ごしています。岡崎市にある士郎ゆかりの講堂が平成25年に国の登録有形文化財に登録されました。

雑誌「酒」に士郎が寄せた文章から酒の肴として八丁味噌を愛用していたことをうかがい知ることができます。

生涯で500匹の猫と暮らした愛猫家作家『大佛次郎(おさらぎじろう)』

生涯で500匹の猫と暮らした愛猫家作家『大佛次郎(おさらぎじろう)』

1897年(明治30年)~1973年(昭和48年)。
神奈川県出身。小説家。ノンフィクション作家。代表作「鞍馬天狗」「赤穂浪士」「パリ燃ゆ」「帰郷」など多数。文化勲章・朝日文化賞受賞。

大佛次郎というペンネームは鎌倉大仏の裏手に住んでいた事に由来します。また愛猫家としても有名で、生涯共に暮らした数は500匹余りと言われ、猫を題材とした小説・童話も残しています。

大佛次郎没後に生誕地横浜市に「大佛次郎記念館」が開館され、愛書家として有名であった大佛次郎が収集した貴重な書籍や自筆原稿などが収められています。

鎌倉を愛した大佛次郎、川端康成ら文学者は「鎌倉文士」と呼ばれ、鎌倉ペンクラブの結成や貸本屋鎌倉文庫の運営、地元住民と鎌倉の自然景観を守る運動などに関わりました。「鎌倉文士」ゆかりの資料が鎌倉市の鎌倉文学館で紹介されています。

カクキュー史料室には昭和時代に大佛次郎の自宅宛に味噌を送った記録が残っています。自宅は神奈川県鎌倉市。

八丁味噌を愛した著名人『川端康成』

世界で最も優れた映画50選で第1位を獲得した映画監督『小津安二郎(おづやすじろう)』

世界で最も優れた映画50選で第1位を獲得した映画監督『小津安二郎(おづやすじろう)』

1903年(明治36年)~1963年(昭和38年)
東京都出身。映画監督(日本映画の巨匠)。

代表作品「晩春」「麦秋」「東京物語」「小早川家の秋」

1953年(昭和28年)の作品「東京物語」は2012年(平成24年)に世界の映画監督達が投票で決めた、「世界で最も優れた映画50選」で第1位に選ばれました。

カクキュー史料室には昭和20年代に御本人から神奈川県鎌倉市の自宅宛に味噌の注文を頂いた記録が残っています。

郷里で子育てしたいとの父親の教育方針で思春期を三重県松阪市で過ごしました。この体験がその後の人生に大きく影響しました。

日本の大手書店「丸善」の基礎を作り上げた『小柳津要人(おやいづかなめ)』

日本の大手書店「丸善」の基礎を作り上げた『小柳津要人(おやいづかなめ)』

1844年(弘化元年)~1922年(大正11年)
愛知県岡崎市出身。岡崎藩士・実業家・丸善社長。

幕末期に岡崎藩を脱藩し各地を転戦。函館五稜郭で敗れた後、謹慎を経て、福沢諭吉の勧めで丸善に入社。その後3代社長に選任され、「洋書の丸善」の基礎を作りました。「士魂商才」と福沢諭吉が評しました。

大正4年に愛知県岡崎市で開催された「徳川家康・本多忠勝両公三百年祭」の祭典副総長を志賀重昂と務めました。

カクキュー史料室には大正時代に頂いた年賀状が残っています。又、カクキューの社史「山越え谷越え350年」に縁の深い人物として紹介されています。

郷土芸術振興に尽力した洋画家『加藤静児(かとうせいじ)』

郷土芸術振興に尽力した洋画家『加藤静児(かとうせいじ)』

1887年(明治20年)~1942年(昭和17年)
愛知県出身。洋画家。愛知社同人。

カクキュー史料室には昭和時代にお客様の御用命により加藤静児の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都渋谷区。

大正4年愛知県岡崎市で「家康・忠勝両公300年祭」が開催されました。新愛知新聞でその様子が紹介され挿絵は加藤静児でした。

大正7年に加藤静児は川崎小虎らと共に「愛知社」を結成し郷土芸術振興に尽力されました。カクキューには「愛知社」からの案内状や年賀状、個展の案内状、年頭色紙等多くの資料が残されている他、和室天袋ならびに地袋の小襖に描かれた加藤静児の作品を所蔵しております。

杉本健吉は加藤静児のアドバイスによりグラフィックデザイナー(図案家)として鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がけました(詳しくは「八丁味噌を愛した著名人~杉本健吉~」をご覧ください)。

八丁味噌を愛した著名人『杉本健吉』

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

〇大給家(貴族院議員・賞勲局総裁)
〇尾崎士郎(小説家)
〇大佛次郎(小説家)
〇小津安二郎(映画監督)
〇小柳津要人(岡崎藩士・実業家・丸善社長)
〇加藤静児(洋画家)
今回はこちらの6名の著名人をご紹介させていただきました。

勧善懲悪の物語「赤穂浪士」や、フランス革命時のパリ・コミューンについて書いた「パリ燃ゆ」の作者、大佛次郎(おさらぎじろう)さんが、大変な愛猫家だったエピソードを知って、とても驚きました(笑)
今回、映画監督や小説家、洋画家などの紹介も多い回となりましたが、クリエイティブなお仕事をされていた方々にも八丁味噌が愛されていたのを知って、嬉しい気持ちになりました。

芸術家は若くして夭折する人も多い中、長く生きて自らの仕事を成し遂げ巨匠となる方々もいます。そのような傑物の長寿や健康を、八丁味噌が支えていたのかもしれないと思うと、感慨深いものがありますね。

次回もどうぞお楽しみに。

【前記事】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち②

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【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち③

時間
■売店営業時間 9:00~17:00 ■工場見学時間 10:00~16:00 (平日)毎時00分、(土日祝)毎時00分・30分に出発(12:30の回はお休み) ■フードコート 11:00~15:00(L.O.14:30)
WEB
https://www.kakukyu.jp/
問合せ
0564-21-1355
その他
●定休日:12/31、1/1
●駐車場:40台
●行き方:名鉄 岡崎公園前駅より徒歩5分
愛知環状鉄道 中岡崎駅より徒歩5分
東名岡崎ICより車で10分
豊田東ICより車で20分
名鉄東岡崎駅よりタクシーで5分/バスで10分
JR岡崎駅よりタクシーで15分
東海道新幹線 三河安城駅よりタクシーで30分

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