マスコット

24

[ 企画 ]

2022-04-27

【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち②

【八丁味噌】は、米麹や麦麹を用いず、原料大豆の全てを麹にした豆麹で作られる豆みそで、江戸時代初期より愛知県岡崎市八帖町(旧八丁村)で造られたことより、「八丁味噌」と呼ばれるようになりました。

なお、徳川家康公の茶道役の石川金阿弥という人物が、家康公に住家の場所を聞かれ「大手(岡崎城)より八丁あまりあります」と答えたことから、この地が「八丁村」と呼ばれるようになったという説があります。このことより、家康公がいたからこそ「八丁味噌」の名称が生まれたとも考えられます。

この、岡崎が誇る伝統調味料は、長い歴史の中で多くの人々に親しまれてきました。
カクキュー八丁味噌の史料室、及び史料館には「荷物発送簿、領収書、払込通知書」等、多くの資料が残っています。その中で、明治期から昭和期にかけて八丁味噌を愛用した著名人たちを、資料写真と共に「カクキュー八丁味噌公式サイト」より引用してご紹介します。

【引用元】カクキュー八丁味噌を愛した著名人

入江泰吉(いりえたいきち)

入江泰吉(いりえたいきち)

1905年(明治38年)~1992年(平成4年)
奈良県出身。写真家。

「世界移動写真展」に「春の文楽」を出品し最高賞を受賞し、文楽の写真家と評されました。しかし昭和20年3月、大阪大空襲に遭い故郷・奈良に引き揚げました。以来、奈良大和路の風景、仏像、伝統行事等の写真を半生にわたって撮り続け多くの写真集を出版しました。
入江泰吉は幼馴染の上司海雲(東大寺観音院住職)の御縁で志賀直哉、杉本健吉、小林秀雄、会津八一、棟方志功等と知遇を得ました。
奈良県奈良市高畑町に入江泰吉の作品を中心とした「入江泰吉記念奈良市写真美術館」があり、2011年に「入江泰吉 杉本健吉~大和路に魅せられた二人の歩み~」の企画展が開催されました。二人は親友でもあり良きライバルとして親交を深めました。

カクキューの史料室には昭和時代に杉本健吉(洋画家)の御用命により入江泰吉の自宅宛に味噌をお送りした注文書が残っています。

岩崎小彌太(いわさきこやた)

岩崎小彌太(いわさきこやた)

1879年(明治12年)~1945年(昭和20年)
東京都出身。実業家。三菱財閥4代目総師。男爵。

三菱財閥創業者の岩崎彌太郎の甥です。
三菱重工業の設立者で三菱を日本最大の重工業企業集団に発展させました。文化人として東京フィルハーモニー交響楽団、作曲家の山田耕作(筰)の後援や、成蹊学園の創設に寄与しました。また、高浜虚子に師事し俳人としても活躍されました。

東京都台東区の旧岩崎邸庭園は岩崎家本邸があった所です。洋館は岩崎家の集まりや外国の賓客を招きパーティー等に使用されました。英国人の建築家ジョサイア・コンドルの設計で1896年(明治29年)に完成し日本近代建築の礎を築きました。1961年(昭和36年)重要文化財に指定。2020年(令和2年)にジョサイア・コンドル没後100年を迎えました。

カクキューの史料室には昭和時代にお客様の御用命により岩崎小彌太の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都港区。現在の国際文化会館です。

植田石芝(うえだせきし)

植田石芝(うえだせきし)

1847年(弘化4年)~1918年(大正7年)。
愛知県岡崎市出身。俳人。号は「石芝」「鋤雲居」。

1804年(文化元年)現在の愛知県岡崎市連尺で、機織り職人であった初代植田八三郎が「大賀屋」と号し、呉服商を始めました。現在も西三河地区最古の呉服屋として商いを続けています。

2代目となった石芝は、1866年(慶応2年)に19歳で俳諧を志し、内田不賢に師事しました。号「石芝」は不賢の命名です。後に、鶴田卓池の高弟である山本波文に師事しました。

1896年(明治29年)西尾に俳句結社松韻社が作られた時、「岡崎人 鋤雲居主人」の名で序を書き、その後指導にあたりました。この頃より全国的に活躍し、岡崎市では岡田撫琴(文化人)や、当社・カクキューの17代当主でもある早川久右エ門(号は「探渓」)主宰の俳句結社「江東社」の指導にあたりました。

石芝の墓は、岡崎市祐金町善立寺にあり墓碑に「肱を曲て 枕にすれば なくかはづ」の辞世の句が刻まれています。

「おおがや(大賀屋呉服店)」のショップページはこちら

大河内正敏(おおこうちまさとし)

大河内正敏(おおこうちまさとし)

1878年(明治11年)~1952年(昭和27年)
東京都出身。子爵。物理学者。実業家(理研の総師)。貴族院議員。

旧上総大多喜藩主の大河内正質の長男に生まれました。江戸時代前期に活躍し「知恵伊豆」と称された老中松平伊豆守信綱の子孫です。孫の河内桃子さんは女優として活躍され、御主人は今治松平家の子孫です。

1921年(大正10年)理化学研究所(理研)の3代目所長に登用された。「科学者の自由な楽園」と呼ばれる程、自由な環境に整え、科学研究と工業を結び付けた先駆者です。
世界的な科学者として文化勲章を受章した鈴木梅太郎、長岡半太郎、本多光太郎は理研の「三大郎」と称されました。

当代きっての食通といわれ料理の腕も玄人はだしで数多く残した著書の中に「味覚」があります。

カクキューの史料室には、昭和時代にお客様の御用命により自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都台東区。

岡田撫琴(おかだぶきん)

岡田撫琴(おかだぶきん)

1873年(明治6年)~1940年(昭和15年)
愛知県岡崎市出身。文化人。本名 岡田太良次郎。号は撫琴。

岡崎市名門の千賀家に生まれましたが、直ぐに若宮町で醤油製造業を営んでいた岡田家へ養子に入りました。養父は岡崎市の誓願寺内に作った宗偏流の茶室「不蔵庵」の維持に尽力していたので「不蔵庵の息子」と呼ばれました。
近代岡崎を代表する文化人(歌人、書家、陶芸家)で、新聞・文化事業にも尽力し、地方文化の向上に大いに貢献しました。名誉や地位、利益を求めず何人に対しても何ら求めるところがなく、ただ持っているものを与えることに徹したことでも評価されています。

文化事業面では、1915年(大正4年)に盛大に開催された志賀重昂企画の「家康・忠勝両公三百年祭」で実行面の全てを担当し、紀要を発行しました。また、柴田顕正の大著「岡崎市史」の編集・刊行を推進しました。

昭和初期のカクキューの「注文帳」「集金帳」が残されており、撫琴の名前が多く確認できます。

岡本霊華(おかもとれいか)

岡本霊華(おかもとれいか)

1883年(明治16年)~1928年(昭和3年)
愛知県出身。小説家。俳人。

明治時代に自然主義的作品を多数発表し、明治文壇の異才と言われました。

小栗風葉の門下生。徳田秋聲と風葉が尾崎紅葉門下の兄弟弟子で仲が良かった事から、霊華も秋聲と親交がありました。下積み時代の霊華が秋聲の代表作を手掛けた事でも知られています。

2010年(平成22年)に徳田秋聲記念館(石川県金沢市)で岡本霊華の全国初の単独展が開催されました。

カクキューの史料室には1927年(昭和2年)にお客様の御用命により霊華の療養先に味噌をお送りした記録が残っています。宛先は愛知県知多郡野間。

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

〇入江泰吉(写真家)
〇岩崎小彌太(三菱財閥4代目総師)
〇植田石芝(俳人・大賀屋2代目/呉服/連尺通)
〇大河内正敏(物理学者)
〇岡田撫琴(文化人)
〇岡本霊華(俳人・小説家)
今回はこちらの6名の著名人をご紹介させていただきました。

当サイト「ぽけろーかる」の公認ライターを務めて下さっている、おおがやの若旦那のご先祖様のお名前を見る事が出来て、とても驚きました。
非常に表現力が高く、地元愛を感じる文章を書かれる若旦那さんですが、やはりご先祖様の資質を受け継いでおられるのだなと納得。

歴史のある土地だけあって、企業、文化人の活動や交流の結びつきが強いのも岡崎の魅力です。先人の足取りを、カクキューの様々な記録から辿れることや、そのような貴重な資料が、今もなおしっかり保存されている事を、もっと多くの方に知ってもらえると嬉しく思います。

連載「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち③」もお楽しみに。

【前記事】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち①

いいと思った分だけ、ハートを押してね!

24

いいね

[ 企画 ]

【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち②

WEB
https://pokelocal.jp/shop.php?uid=327

この記事で紹介されたスポット

クリックで場所を確認

①カクキュー八丁味噌