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2022-08-06

【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち④

【八丁味噌】は、米麹や麦麹を用いず、原料大豆の全てを麹にした豆麹で作られる豆みそで、江戸時代初期より愛知県岡崎市八帖町(旧八丁村)で造られたことより、「八丁味噌」と呼ばれるようになりました。

なお、徳川家康公の茶道役の石川金阿弥という人物が、家康公に住家の場所を聞かれ「大手(岡崎城)より八丁あまりあります」と答えたことから、この地が「八丁村」と呼ばれるようになったという説があります。このことより、家康公がいたからこそ「八丁味噌」の名称が生まれたとも考えられます。

この、岡崎が誇る伝統調味料は、長い歴史の中で多くの人々に親しまれてきました。
カクキュー八丁味噌の史料室、及び史料館には「荷物発送簿、領収書、払込通知書」等、多くの資料が残っています。その中で、明治期から昭和期にかけて八丁味噌を愛用した著名人たちを、資料写真と共に「カクキュー八丁味噌公式サイト」より引用してご紹介します。

【引用元】カクキュー八丁味噌を愛した著名人

近代日本画の巨匠、川合玉堂(かわいぎょくどう)

近代日本画の巨匠、川合玉堂(かわいぎょくどう)

1873年(明治6年)~1957年(昭和32年)
愛知県一宮市出身。日本画家。

1931年(昭和6年)フランスよりレジオン・ドヌール勲章受章。
1940年(昭和15年)文化勲章受章。

横山大観・竹内栖鳳と並び、近代日本画の三巨匠と称されました。

カクキュー史料室には昭和20年代にお客様の御用命により味噌をお送りした記録が残っています。宛先は東京都。

ノーベル文学賞受賞、川端康成(かわばたやすなり)

ノーベル文学賞受賞、川端康成(かわばたやすなり)

1899年(明治32年)~1972年(昭和47年)
大阪府出身。小説家。
代表作は「伊豆の踊子」「雪国」「古都」など多数。

1961年(昭和36年)文化勲章受章。
1968年(昭和43年)日本人として初のノーベル文学賞受賞。

カクキュー史料室には昭和時代にお客様の御用命により、自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は神奈川県鎌倉市。

文化勲章受章の近代日本画家、川端龍子(かわばたりゅうし)

文化勲章受章の近代日本画家、川端龍子(かわばたりゅうし)

1885年(明治18年)~1966年(昭和41年)
和歌山県出身。近代日本画の巨匠。
1959年(昭和34年)文化勲章受章。

文化勲章受章と喜寿を記念して、1963年(昭和38年)に龍子記念館が東京都大田区に設立されました。
隣接する龍子公園では、龍子自ら設計した旧宅とアトリエが保存されています。

カクキュー史料室には昭和時代にお客様の御用命により、自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都大田区。

芥川賞・直木賞の創設者、菊池寛(きくちかん)

芥川賞・直木賞の創設者、菊池寛(きくちかん)

1888年(明治21年)~1948年(昭和23年)
香川県出身。作家・ジャーナリスト・実業家。「文藝春秋」創刊。2014年に150回目を迎えた「芥川賞」「直木賞」を創設。カクキュー史料室には昭和初期に菊池寛の自宅宛に味噌を送った記録が残っています。自宅は東京都豊島区。

1912年(明治45年)愛知県蒲郡市の竹島の対岸に滝信四郎氏により料亭旅館「常磐館」が建てられました。眺めは別格で、1922年(大正11年)に菊池寛が小説「火華」で初めて常磐館を紹介しました。当時の総支配人であった三村三時氏のはたらきによりその後多くの文人達が常磐館を訪れ作品に描写しました。

当時の常磐館の名物がカクキューの八丁味噌を使用した「アサリ汁」と「あさりとワケギのぬたあえ」でした。常磐館の御縁でしょうか、川端康成・三島由紀夫・与謝野晶子等の味噌の注文書など、多くの資料が史料室に残っています。

現在、跡地には「海辺の文学記念館」が建立されゆかりの作家や作品が紹介されています。

劇団「文学座」の創始者、岸田國士(きしだくにお)

劇団「文学座」の創始者、岸田國士(きしだくにお)

1890年(明治23年)~1954年(昭和29年)
東京都出身。劇作家。小説家。評論家。翻訳家。
代表作に小説「暖流」、戯曲「チロルの秋」等。

1937年(昭和12年)に劇団「文学座」を岩田豊雄(獅子文六)と久保田万太郎と共に創設しました。

長女の岸田衿子さんは童話作家。次女の岸田今日子さんは女優です。

カクキュー史料室には昭和時代に常磐館からの御用命により岸田國士の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京都杉並区。

常磐館について詳しくは「カクキューの八丁味噌を愛した著名人~菊池寛~」をご覧ください。

八丁味噌を愛した著名人『菊池寛』

美味しんぼの海原雄山のモデル、北大路魯山人(きたおうじろさんじん)

美味しんぼの海原雄山のモデル、北大路魯山人(きたおうじろさんじん)

1883年(明治16年)~1959年(昭和34年)
京都の上賀茂神社の社家に生まれる。
芸術家(篆刻家・書家・画家・陶芸家)。
大正10年に会員制食堂「美食倶楽部」、大正14年に会員制高級料亭「星岡茶寮」を発足し美食家としても有名です。
「器は料理の着物」という名言を残しています。
また、雁屋哲原作・花咲アキラ画のグルメ漫画「美味しんぼ」主人公の父(海原雄山)は魯山人がモデルとされています。
73集には八丁味噌の記述があります。

カクキュー史料室には昭和20年代にお客様の御用命により魯山人の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っております。自宅は鎌倉市。

名古屋市を代表する老舗「八勝館」は魯山人ゆかりの料亭としても有名です。カクキューの史料室には八勝館からの味噌の注文書が多数保管されており、挨拶状の中には「食器は魯山人作の雅陶を主として使用いたします。」と有ります。

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

〇川合玉堂(日本画家)
〇川端康成(小説家)
〇川端龍子(近代日本画家)
〇菊池寛(作家・ジャーナリスト・実業家)
〇岸田國士(劇作家・小説家・評論家・翻訳家)
〇北大路魯山人(篆刻家・書家・画家・陶芸家)
今回はこちらの6名の著名人をご紹介させていただきました。

今回特に目を引いたのは「味噌を生かしているか」の言葉が有名な、北大路魯山人さんです。美食家としても非常に高名で、味噌について書いた「三州仕立て小蕪汁」をとても興味深く拝見した覚えがあります。
味噌の生き死にを雄弁に語る彼の人の目には、八丁味噌はどのように映っていたのでしょうか。魯山人ゆかりの料亭からの注文記録も多いという事で、お気に入りの調味料だったのかも…と想像するのも面白かったです。

次回もどうぞお楽しみに!

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時間
■売店営業時間 9:00~17:00 ■工場見学時間 10:00~16:00 (平日)毎時00分、(土日祝)毎時00分・30分に出発(12:30の回はお休み) ■フードコート 11:00~15:00(L.O.14:30)
WEB
https://www.kakukyu.jp/
問合せ
0564-21-1355
その他
●定休日:12/31、1/1
●駐車場:40台
●行き方:名鉄 岡崎公園前駅より徒歩5分
愛知環状鉄道 中岡崎駅より徒歩5分
東名岡崎ICより車で10分
豊田東ICより車で20分
名鉄東岡崎駅よりタクシーで5分/バスで10分
JR岡崎駅よりタクシーで15分
東海道新幹線 三河安城駅よりタクシーで30分

この記事で紹介されたスポット

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①カクキュー八丁味噌