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[ 神社・お寺 ]
2021.11.18
龍城神社 岡崎を代表する二人の武将を祀る神社
岡崎城の天守と並んで鎮座する、龍城神社。龍城(たつき)とは、岡崎城の別名でもあります。
その祭神は、戦国最強と唄われた三河武士・本多忠勝と、江戸幕府初代将軍・徳川家康公。その二人にちなんで、勝負事、また出世開運の御利益があるといいます。
龍城とは、岡崎城の別名。
かつて、明大寺に住した三河守護職、西郷弾正左衛門頼嗣.が、菅生川の北のこの地に新たに砦を築こうとするとき、気高き乙女が姿を表し、「自分はこの地は棲む龍神である。自分を鎮守の神と奉れば、永くこの城を守護しよう」とおつげしたそうです。
その龍神を祀ったのが、神社西側にある「龍の井」、そして、城の別名は「龍城」と呼ばれました。
天文11年12月26日、この岡崎城で、竹千代、後の徳川家康公が誕生しました。この日、城中の井戸から金色の龍が天に昇り、後の江戸幕府初代将軍の生誕を祝ったという伝説があります。
この井戸は神社の西側に出世開運の龍の井として、祀られています。
その後、江戸時代になり、神君生誕のこの城にも、家康公を祀る東照宮が建てられました。現在岡崎城に展示されている三葉葵の金箔瓦は、この東照宮のものではなかったかとも推測されており、その絢爛さが想像されます。
そして明和七年、本多忠勝の子孫の本多忠道が岡崎藩主となると、藩祖である忠勝もまた「永世大明神」もまた、天守に祀られました。
そして、本丸にあった東照宮は三の丸(現在の多目的広場北・浄瑠璃姫の供養塔近く)に移され、民間にまで広がった東照宮信仰とともに、岡崎の民衆に広く参拝されました。
明治の岡崎城廃城の際、これら別々の神社は整理され、明治9年、本多忠勝公と徳川家康公を合祀する『龍城神社』となりました。大正3年に定められた旧社格は『県社』。旧岡崎市史で網羅された神社の一番最初に挙げられ、岡崎を代表する神社でした。
拝殿前で参拝客を出迎える狛犬たちは、この大正3年に奉納されたもの。旧岡崎藩士とその子孫たちの寄進で作られた狛犬は、その誇りを現すようにかなり大型でありながら、明治までの狛犬の風貌を受け継ぎ、たてがみの薄い大きめの頭と、シンプルな体形、なにより「一杯ビールで飲むか~」とでも言いそうな親し気な表情は、和やかな現在の公園の雰囲気と、よく調和していると思います。
その後、昭和28年、火災により社殿が焼失してしまいましたが、本殿には他の地域で東照宮であった建物を移し、昭和39年に社殿が再建。
平成8年に拝殿天井に、拍手に合わせて咆哮する『鳴き龍』が奉納され、新たな名物となっています。
元旦には、徳川家の縁起物『うさぎ汁』を振る舞うなど、家康公を愛する気持ちで地域に寄り添いながら、龍城神社は、岡崎公園の中心に鎮座して約100年、今でも多くの市民に敬愛されています。
(写真撮影・けろっと氏 https://twitter.com/kerotto_3?s=20)
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