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[ 歴史・石碑 ]

2022.02.27

『鎌倉殿』と岡崎とのつながりと観音像 ―瀧山寺の聖観音立像―

1月に放送が始まって以来、評判が好評な『鎌倉殿の13人』。
タイトルの『鎌倉殿』とは、鎌倉幕府の棟梁のこと。この作品では、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝のことを指します。
この源頼朝と関わりの深い寺が、岡崎市内にあるというのです。

岡崎市滝町にある古刹、瀧山寺。
ここには、かの運慶作と伝わる、聖観音立像が伝来しています。
この像の身長は頼朝の等身大とされ、さらに、その胎内には、頼朝の歯と鬚が納められているのです。

鎌倉からはるか離れたこの地に、何故、源頼朝の化身ともいえる観音像が伝わっているのか。瀧山寺縁起から読み取れる、頼朝と三河の縁をたどってみます。

源頼朝の母、由良御前と、叔父祐範と滝山寺の関係

源頼朝の母、由良御前と、叔父祐範と滝山寺の関係

栄華を奢った平家を滅ぼし、鎌倉幕府初代将軍『鎌倉殿』となる源頼朝ですが、そのルーツは実はこの地方にあります。

頼朝の母は、由良御前(ゆらごぜん)と通称されている女性です。
由良御前は、額田(現在の岡崎市、幸田町、豊田市の一部)に拠点を持ち、尾張まで勢力を拡大した、『熱田大宮司家』の出身。頼朝の父である源氏の棟梁、源義朝の正室となり、熱田神宮の近くには、源頼朝の生誕地と伝わる場所もあります。

頼朝13歳の時に、由良御前は亡くなります。その翌年、平治の乱で、頼朝の父・源義朝は敗北、野間(現在の愛知県美浜町)で殺害されました。
たった一年で、頼朝は父母を亡くし、謀反人の子となったのです。


さて、由良御前には、仏門に入った兄弟がいて、一族が支援した瀧山寺に入り、祐範(ゆうはん)と名乗りました。祐範は、姉である由良御前が亡くなった際には葬儀も執り行っています。
姉の忘れ形見、甥にあたる14歳の頼朝が、父の罪に連座して流罪となったと聞きつけると、不憫に思った祐範は、供の者をつけてやり、伊豆の頼朝のもとへ毎月使者を送り、篤く支援したそうです。

頼朝の化身 聖観音立像と寛伝

頼朝の化身 聖観音立像と寛伝

時は流れ、源頼朝が武家政権を確立すると、瀧山寺への恩義に報いるためでしょうか、当時の瀧山寺住持であり、母方の従兄弟にあたる寛伝(かんでん)を日光山輪王寺に招聘しました。
日光座主となったものの、三河への帰還を希望した寛伝は、ほどなくして瀧山寺に戻り、五年後、頼朝の急逝を聞きつけます。
寛伝は頼朝を弔うために、瀧山寺の内に惣持禅院を建立し、三回忌法要を盛大に行いました。その際に制作された聖観音立像は、仏師運慶とその子湛慶の作、約174cmのうち、宝髻と呼ばれる結われた髪の部分を除いた、頭頂部から足元までの155cmは、頼朝の等身大。そして、胎内には頼朝の鬚と歯が納められたと伝わります。
聖観音立像が選ばれた理由は、持仏として身に着けていた聖観音菩薩像が数々の奇跡を起こしたことが、『吾妻鏡』に記載されているなど、頼朝自身の深い観音信仰に拠るところでしょう。
まさに、源頼朝の化身とも受け取れるこの聖観音立像は、脇侍の梵天・帝釈天とともに、現在は瀧山寺の宝物殿に収蔵され、拝観することができます。(有料拝観)

三河足利氏との関係、そして家康公の時代へ

源頼朝の正室で、尼将軍呼ばれ、日本史上稀に見る女性の為政者となった政子には、北条時子という異母妹がいました(大河ドラマに登場する『実衣』とは別の妹)。
時子は足利氏と婚姻を結び、時子の子・足利義氏(あしかがよしうじ)は三河守護となり、現在の岡崎市域を中心とする三河に本拠を置きました。
義氏は、滝山寺にも多くの寄進をし、寺には義氏寄進の菩薩面など関係する文物が残されています。

三河足利氏は、義氏の子供の代で、足利、今川、吉良と分家しました。
本家の足利家からは五代あとの足利尊氏が、室町幕府を樹立し、初代将軍となりました。今川は駿府に拠点を移し、子孫には今川義元が、吉良は南に拠点を持ち、子孫に吉良上野介がいます。

そして、足利の一門衆や被官衆は三河一円に拠点を持ちました。室町時代を支えた彼等は、家康公を支える三河武士の起源のひとつとなったのです。

繁栄を物語る瀧山寺三門

繁栄を物語る瀧山寺三門

滝山寺に向かうと、まず鮮やかな丹塗りの三門に出迎えられます。
集落の入り口にあるこの門は、左右に仁王像を納めた仁王門であり、寺伝では文永4年(1267)建立の、国の重要文化財です。

この門から滝山寺本堂までは、青木川に沿って900m以上は登るのですが、かつてはそこまですべてが、滝山寺とその塔頭(関連寺院)だったというから驚きです。
中世の滝山寺の繁栄を、この美しい丹塗りの門は静かに語っているのです。

滝山寺本堂と鬼祭り

滝山寺本堂と鬼祭り

急坂と、きつい石段を登ると到着する滝山寺本堂。建立年代は『滝山寺縁起』によって貞応元年(1222)とされています。丁寧に檜皮で葺かれた分厚い屋根の下、内陣には薬師如来を中心に、日光・月光菩薩、十二神将など多数の仏像が安置されています。

そして、国の重要文化財というとても貴重な木造建築物でありながら、毎年2月には「滝山寺鬼まつり」が開かれます。クライマックスの火まつりでは、運慶作の面をかぶった鬼たちが、ごうごうと火が燃える松明を掲げて暗闇の中を乱舞する様はすさまじい迫力です。
本堂の回廊には、鬼まつりの火の粉でできた焦げ目も見ることができます。

滝山東照宮と日吉山王社

滝山東照宮と日吉山王社

滝山寺本堂北側には、滝山寺の鎮守、日吉山王社が鎮座しています。
市指定文化財である現在の本殿は、慶長13年(1608)に徳川家康によって建立され、正保2年(1645)に家光によって再建されたと推定されています。
令和3年には念願の保存修理工事が完成し、全国的にも珍しい七間社流造の社殿が、日の下に輝く様を拝見できるようになりました。


本堂の東に並ぶ滝山東照宮は、正保3年(1646)、3代将軍家光公の創建で、「日本三東照宮」に数えられています。家康公生誕地の岡崎にも、家康公を神と祭る東照宮をと、歴史の深い滝山寺の境内に勧請されました。
神仏分離により現在は別々の区分とされていますが、瀧山寺本堂と並び立つような、東照宮様式の社殿は国の重要文化財に指定され、幕府主導で建築された、鮮やかなで精緻な装飾彩色が見どころです。

このように、文化財的な価値がある木造建築を、4か所も一度に見ることができるのです。

岡崎は将軍たちのルーツ

岡崎は将軍たちのルーツ

源頼朝と母、それを支えた滝山寺の親族たち。
足利義氏、そして家康公を祀った東照宮。
中世三河の天台宗の中核寺院だった瀧山寺は、鎌倉、足利、江戸、それぞれの将軍と深い結びつきを持っていました。

それらの深い関係性は、岡崎公園内の『三河武士のやかた家康館』で総括的に学ぶことができます。
そして、瀧山寺の宝物殿では、華麗な寺宝とも直接拝観して、ぜひ、歴史を感じてみてください。

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詳細

瀧山寺 宝物殿 拝観案内

年中無休(臨時休業あり)
午前九時〜午後五時まで(季節によって変更あり)
拝観料400円 ※東照宮は別途200円
団体拝観は、事前にお電話にてご予約ください
0564-46-2296
交通案内

公共交通機関:名鉄名古屋本線「東岡崎駅」より、大沼方面行バス「瀧山寺下」下車
自家用車:東名高速道路「岡崎I.C.」下車約20分。伊勢湾岸道「豊田東I.C.」下車約20分
〒444-3173 愛知県岡崎市滝町字山籠107

この記事で紹介されたスポット

三河武士のやかた家康館

康生町 資料館

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TEL : 0564242204

休 : 年末(12月29日〜12月31日)

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