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[ 神社・お寺 ]
2021.08.11
菅生神社 - ちりばめられた美 -
岡崎公園からほど近く、乙川沿いの菅生神社は、ヤマトタケルノミコト伝説を持つ由緒ある神社で、岡崎城の歴代の城主から、とても大切にされてきたお社。
最近では、期間限定で授与していただけるカラフルな限定御朱印で有名になり、参拝者が絶えることがありません。
由緒
菅生神社の御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。社伝に拠れば、ヤマトタケルノミコトが東征のさなか、この地を通過したとき、手ずから矢を作らせ伊勢大神を勧請した吹矢大明神と、額田宮崎からはるばる高岩の中洲に流着した牛頭天王を祀った菅生天王を、洪水を機に合祀、菅生天王社となりました。
家康公25歳、松平姓から改姓しまさに『徳川家康』となった頃、この神社で厄除開運祈願をされ、社殿の改築や土地の寄進など厚く崇敬されていました。
満性寺の了専上人が菅生天神(菅原道真)を祀り、また、岡崎城主の水野忠善が、徳川家康公を祀り、ともに本殿に合祀されています。境内にある稲荷社は、はるか山城国(現在の京都府)から勧請したと社伝にあります。明治元年に名を改め、現在の菅生神社と改称されました。
江戸時代には菅生川(乙川)に鉾船を浮かべ奉納花火をしていた宵宮祭の伝承を譲り受け、現在も、氏子各町から勇ましい練り込み行列の後、提灯を付けた華やかな鉾船を菅生川に浮かべ、金魚花火や手筒花火等を打ち上げ奉納しています。(令和3年は中止)
花手水
神社やお寺では、参拝前に御手水で手や口を清めるのが礼儀だったのですが、近年、感染症対策として御手水が禁止になるところも増えました。
菅生神社さんでは、ひしゃくを使わずに竹に水を通して、手水を使うことができるように工夫されているのですが、この手水舎や神社のあちこちに、毎月1日と、週末の土曜日曜日に、水を張った入れ物に花を浮かべた『花手水』を設置してくれています。
珍しい宝珠型狛犬
本殿の前の一対の狛犬。ここに足を止める人はほとんどいないのですが、ふんわりと笑っているような、愛嬌のある表情。
岡崎市内の神社の狛犬のほとんどが、大正時代以に完成されたかたちなのですが、この菅生神社の狛犬さんは、明治36年に奉納されたもので、向かって左の狛犬さんの頭に、玉ねぎのような宝珠、右の狛犬さんの頭の上には角があります。この形の狛犬は、明治時代を最後に、岡崎ではほとんど作られなくなってしまったので、技術としてもっとも完成された姿を見ることができます。
狛犬を作った石工の技術を見るときは、毛並みの美しさを見て欲しいのですが、この狛犬は、前足と後ろ脚の付け根のところに、ぐるぐるとうずまきが掘ってあります。これは巻き毛を表す表現なのですが、明治から大正初期を中心とする一部の狛犬に見られる、珍しい手法です。
そして、尻尾がとても個性的で、まるで女性の髪形の編み上げみたいに、左右交互に複雑な巻き方をしていて、しかも、よく見ると右と左で違う形状をしているのです。
慰霊社の華麗な彫刻
本殿向かって右側に、境内社である慰霊社があります。
このお社は、もともと菅生神社の本殿だった建物を移築したもので、おそらく寛永15年頃に作られたものではないかと思われます。決して大きくはありませんが、綺麗に彩色されたお社には細かな細工が施されていて、唐獅子やオシドリ、鳳凰らしき豪華な彫刻も見つけられます。菅生神社の格式がよく解るものになっています。一度お参りして、じっくり見てみて下さい。
石鳥居
慰霊社を通り過ぎると、本殿の右横、北側の端に、地味なので見落としがちな石鳥居が。これが、この神社の歴史を語る構造物です。
川沿いの大きな鳥居と比べるとずっと小さいのですが、江戸時代初期の寛永15年、岡崎城の城主だった本多忠利が、菅生神社本殿を修復した際に寄進したもので、岡崎市の指定文化財となっています
石都・岡崎と言いますが、市内で文化財指定を受けている鳥居というのは実はそうたくさんある訳ではなく、岡崎の石工の歴史をたどるうえでとても大事なものになります。この鳥居の柱が一部、はがれてしまっているのですが、これはただ古いからでなく、かつてこの菅生神社も火災にあったことがあって、その時に火にあぶられてはがれたようです。菅生神社の歴史を刻んだ鳥居なのでしょう。
川沿いの住宅地にあって、菅生神社の境内は決して広いわけではありませんが、菅生川とともに在り、長くこの地を見守ってきた歴史とみどころがたくさんある、面白い神社です。
境内にある案内図には、これ以外にもみどころが紹介されているので、隅から隅まで探検してみてください。
(歴史、史実解釈には諸説があり、本文中の解説はその一部分をご紹介しています)
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