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2022-11-26

【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち⑥

【八丁味噌】は、米麹や麦麹を用いず、原材大豆の全てを麹にした豆麹で作られる豆みそで、江戸時代初期より愛知県岡崎市八帖町(旧八丁村)で造られることから八丁味噌と呼ばれるようになりました。
地元で古くから造り伝えられてきた豆みそを、岡崎で生まれた徳川家康公が珍重し、幕府を開くと同時に江戸に伝えて全国に広まったとする説もあります。

この、岡崎が誇る伝統調味料は、長い歴史の中で多くの人々に親しまれてきました。
カクキュー八丁味噌の史料室、及び史料館には「荷物発送簿、領収書、払込通知書」等、多くの資料が残っています。その中で、明治期から昭和期にかけて八丁味噌を愛用した著名人たちを、資料写真と共に「カクキュー八丁味噌公式サイト」より引用してご紹介します。

【引用元】カクキュー八丁味噌を愛した著名人

岡崎市に初めて電気の灯をもたらした、杉浦銀蔵 (すぎうらぎんぞう/2代目)

岡崎市に初めて電気の灯をもたらした、杉浦銀蔵 (すぎうらぎんぞう/2代目)

1847年(弘化4年)~1899年(明治32年)
愛知県出身。「岡崎電燈会社」の創業者。岡崎市名誉市民。

1895年(明治28年)電信技師の大岡正が岡崎に来られ、水力利用の発電事業と重要性を説きました。
1896年(明治29年)杉浦銀蔵・近藤重三郎・田中功平により岡崎電燈会社(中部電力の前身)が設立されました。
カクキュー16代当主早川休右衛門も賛同し、資金面及び経営面で支援をしました。

1897年(明治30年)岩津発電所が竣工し岡崎市に初めて電気の灯をともし、開業式では元内務大臣の品川弥二郎の祝辞が披露されました。カクキュー史料室にはその祝文が残されています。

杉浦君銀蔵頌徳碑が愛知県岡崎市の岡崎公園「三河武士のやかた家康館」西に有ります。碑文は岡崎市出身の世界的地理学者の志賀重昂によるものです。
カクキュー史料室には事業を引き継いだ3代目杉浦銀蔵の資料(明治・大正時代)が多数残っています。

※14、15、16

八丁味噌を愛した著名人『本多家』

洋画からイラストまで多彩な作品を手掛けた、杉本健吉(すぎもとけんきち)

洋画からイラストまで多彩な作品を手掛けた、杉本健吉(すぎもとけんきち)

1905年(明治38年)~2004年(平成16年)
愛知県出身。岸田劉生に師事。洋画家。イラストレーター。

吉川英治作「新・平家物語」「私本太平記」等の挿絵を担当する。
又、「奈良の杉本」「杉本の奈良」と評される程、奈良の風物を愛し、数多くの作品を残しました。
鉄道会社関係のポスターや、名古屋市営地下鉄のマーク等も手掛けています。

カクキュー史料室には、昭和20年代に御本人から八丁味噌の注文をいただいた記録が多数残っております。
吉川英治、梅原龍三郎、入江泰吉、上司海雲等、多くの知人に贈答品としても使用された様です。

1987年(昭和62年)愛知県知多郡美浜町に「杉本美術館」が開館され、平成26年9月20日から12月28日迄「杉本健吉人生の師吉川英治展」が開催されました。
※杉本美術館は、惜しまれつつも2021年10月31日をもって閉館されました。

激動の時代の政治家、高橋是清(たかはしこれきよ)

激動の時代の政治家、高橋是清(たかはしこれきよ)

1854年(安政元年)~1936年(昭和11年)
東京都出身。政治家・財政家。
総理大臣・大蔵大臣・日銀総裁・初代特許局長。

カクキュー史料室には昭和初期に自宅宛に味噌を送った記録が残っています。
自宅は東京都港区赤坂。

この邸宅は昭和11年に起きた二・二六事件の現場で、高橋是清は青年将校達により暗殺されました。

現在建物は東京都小金井市の「江戸東京たてもの園」に移築されています。

英語教師をしていた時の教え子には、正岡子規、秋山真之、東京駅設計者の辰野金吾が居ます。

ふくよかな風貌から「だるま宰相」と呼ばれ親しまれました。

カクキューの大井戸を設計した、鷹部屋福平(たかべやふくへい)

カクキューの大井戸を設計した、鷹部屋福平(たかべやふくへい)

1893年(明治26年)~1975年(昭和50年)
愛知県岡崎市出身。工学博士。構造力学の権威者。
1964年(昭和39年)岡崎市名誉市民。

専門分野では、橋梁学、構造学などの力学に関する著書、論文が多く、大正13年に完成したカクキューの大井戸の設計者です。

専門分野ばかりでなく、テニス、アイヌ文化研究、随筆、絵画にも造詣が深く、絵画は旧岡崎藩士で画家であった父の才能を受け継ぎ多くの作品を残しています。

カクキュー史料室には昭和時代に自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は札幌市。又、御本人から送られた年賀状も残っています。

1963年(昭和38年)に土木学会名誉員に推挙され、首都高速道路公団委員として「東京オリンピック」道路の建設に尽力されました。

2020年にはオリンピックが東京で開催されました。

最後の幕末志士、田中光顕(たなかみつあき)

最後の幕末志士、田中光顕(たなかみつあき)

1843年(天保14年)~1939年(昭和14年)
高知県出身。伯爵。最後の幕末志士。
初代首相(伊藤博文)の書記官長。宮内大臣。

1867年(慶応3年)京都の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。
田中光顕は暗殺現場に1番に駆けつけ、重傷の中岡から経緯を聞いています。

中岡の死後、陸援隊の副隊長となり戊辰戦争で活躍しました。

維新後は新政府に出仕。数々の要職を歴任し、政界引退後は日本各地で志士達の顕彰に尽力しました。

カクキュー史料室には大正時代に御本人から送られた年賀状が残っています。住所は静岡県富士市。

平成29年には坂本龍馬は没後150年を迎えました。

日本の博物館の父と呼ばれた、田中芳男(たなかよしお)

日本の博物館の父と呼ばれた、田中芳男(たなかよしお)

1838年(天保9年)~1916年(大正5年)
長野県出身。学者。政治家。男爵。
博物学、植物学の第一人者であり、明治政府の官僚としても活躍しました。

パリ、ウィーン、フィラデルフィアの万博に派遣され、国内外の物産、博覧会に関わり博物館の設立を考案し「日本の博物館の父」と呼ばれています。

カクキュー史料室にはカクキューの引札(チラシ)が残されています。引札には、1881年(明治14年)に開催した第2回内国勧業博覧会で受賞した褒状の写しに、当時審査部長であった田中芳男の名前が記されています。

1910年(明治43年)に田中芳男はカクキューの八丁味噌を称賛し「天下一品」と揮毫し、カクキューに贈りました。最初は東海道沿いに構えていた旧店舗入口に掲げられていましたが、現在は昭和2年に完成した本社屋(平成8年に文化庁の登録有形文化財に登録)入口に掲げられています。

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

「カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち」は、いかがでしたか?

〇杉浦銀蔵 (2代目)(「岡崎電燈会社」の創業者・岡崎市名誉市民)
〇杉本健吉(洋画家・イラストレーター)
〇高橋是清(政治家・財政家)
〇鷹部屋福平(工学博士・構造力学の権威者)
〇田中光顕(伯爵。最後の幕末志士)
〇田中芳男(学者・政治家・男爵)
今回はこちらの6名の著名人をご紹介させていただきました。

洋画家の杉本健吉さんが好きで、知多の美術館には何度も足を運んだ記憶があります。
ほとばしる才能であっという間に夭折する作家と、地道に積み重ねた先に突き抜ける大器晩成の作家がいますが、杉本健吉さんはどちらとも違い、飄々と我が道を生きた印象があります。
生活の中に愛着を得たもの、目に留まった可愛い生きもの、馴染みの風景など、好きと感じたものを身の回りに置き、モチーフとすることも多かったようです。
そんな彼が八丁味噌の味噌汁を飲んで作品作りに勤しんだと思うと、少し嬉しくなりました。
次回もどうぞお楽しみに!

【前記事】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち⑤

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【連載】カクキュー八丁味噌を愛した著名人たち⑥

時間
■売店営業時間 9:00~17:00 ■工場見学時間 10:00~16:00 (平日)毎時00分、(土日祝)毎時00分・30分に出発(12:30の回はお休み) ■フードコート 11:00~15:00(L.O.14:30)
WEB
https://www.kakukyu.jp/
問合せ
0564-21-1355
その他
●定休日:12/31、1/1、1/2
●駐車場:40台
●行き方:名鉄 岡崎公園前駅より徒歩5分
愛知環状鉄道 中岡崎駅より徒歩5分
東名岡崎ICより車で10分
豊田東ICより車で20分
名鉄東岡崎駅よりタクシーで5分/バスで10分
JR岡崎駅よりタクシーで15分
東海道新幹線 三河安城駅よりタクシーで30分

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①カクキュー八丁味噌