49
[ 文化財・アート ]
2024.04.19
【康生さんぽ】康生のまちを見守るのは誰?岡崎出身の彫刻家「鈴木政夫氏」の道祖神たち
まちの中に、なんとなく”既視感”を感じる二つの彫刻。
二人の人物が寄り添って見える不思議な造形に惹かれ、記憶をたどりながら、彫刻が置いてある場所を訪ねてみることにしました。
まちの画材屋さん「彩雲堂」の前に設置された、小さな道祖神
まずは南康生にある、「彩雲堂」へ足を運んでみます。
こちらのお店の、ポスターがたくさん貼ってある壁の前を見ると、目当ての石像を見つけました。
小ぶりで可愛らしい石像ですが、形はとてもユニーク。
右側の人物の顔からは強い意志が見え隠れし、隣の相棒の顔を手で優しく支えています。
その口元は、微笑んでいるようにも強く結ばれているようにも見え、感じ方次第でどのような表情にも解釈できそうです。
一方、左側の人物は、目を丸く見開き、口をぽかんと開けたまま、空を見つめています。
驚いているようにも、放心しているようにも見え、明らかに隣の人物とは様相が違っているようです。
二人は互いに体をあずけ、寄り添いあっている様子。
そこからは、どのような状況にあっても支えあう人の姿や、互いを思う心などが、素朴ながらもまっすぐ伝わってくるようです。
竹田屋漆器店の店頭に設置された、二人の石像
次は、連尺通りの「竹田屋漆器店」へ。
こちらにも、二人の人物が寄り添う石像があります。
先ほどよりも大きいサイズで、顔をぴったりと寄せる二人の口元は、うっすら微笑んで見えます。
帽子をかぶった人物の顔立ちは似ていて、とても親し気な様子。
ただ、先ほどと同じで、二人はしっかりと寄り添いながら、お互いを支えあっています。
胸のあたりに浮かぶ渦模様は、互いに手を取りあっているようにも、心が1つである事を暗示しているようにも見えます。
この石像を作ったのは、岡崎市出身の彫刻家「鈴木政夫」氏でした。
鈴木政夫氏(大正5年~平成14年)は、岡崎市内の石工の四男として生まれ、戦後の開墾生活ののちに彫刻家としての道を歩んだ方だそうです。
岡崎の特産である「御影石」を使い、素朴ながらも温もりのある石彫作品で知られています。
彫刻を始めたのは19歳の時で、その後戦火に巻き込まれて徴兵され、戻ったのは10年後でした。
のちに6年続いた開墾生活は非常に貧しく、報われない、先も見えない、疲れ果てた毎日だったようです。
手を差し伸べてくれたのはお姉さんで、家族の援助によって、鈴木氏は彫刻の勉強をするために、心機一転、東京へと旅立ちました。
時代に翻弄されながらも、身近な人々と支えあい、何とか生き延びてきた経験が、あの寄り添いあう石像に深く反映されているように思えてなりません。
大樹寺には、鈴木政夫氏のお墓があるそう。
徳川家康の菩提寺でもある「大樹寺」には、鈴木政夫氏のお墓があると聞きました。
裸の女性が横たわった墓石で、氏が自ら彫られたそうです。
今度訪れた時は、ぜひ探してみようと思いました。
石屋の子として誕生し、生涯「石」と向き合い続けた、鈴木政夫氏。
西洋の「美」を追求する彫刻とは一線を画し、石の素材に感じる表情や、人の繊細な感情を写し込む手法は、”ものには魂が宿る”という、日本ならでは表現にも思えます。
まちを歩く中で見つけた、温かい、祈るような石の彫刻。
これからも変わることなく、康生の道行く人々を優しく見守ってくれるのでしょう。
49