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[ 歴史・石碑 ]

2023.06.28

【どうする家康★記念連載】第九回 徳川家最大の試練 築山殿と信康の悲劇が起こるまで

『どうする家康★記念連載』では、令和5年度大河ドラマの放送を記念して、徳川家康公の生誕地である岡崎の家康公と三河武士ゆかりのエピソードを連載していきます。


家康公の正室・築山殿と、長男・信康の命を奪った『信康事件』は、家康公の人生で最大の悲劇です。

徳川家を覆う暗い影、家康公の決断の中で最も非情とも思えるこの件、真相のはっきりしないこの事件に至るまでの流れを、今回は取り上げてみたいと思います。





築山殿は、本名や生年がよく分かっていません。本名は『瀬名』と説明されることも多いのですが、父の関口氏純(親永)が瀬名氏出身であること、生まれが瀬名(現在の浜松市西奈)の地であることから、出身地か出身氏族のどちらかから取られた通称でしょう。
母は今川義元の妹とも、井伊家から義元の側室になった女性とも伝わっています。
今川一門衆で重臣という、当時の今川家中では格段に家柄の良い家のお嬢様でした。

その瀬名が、松平元康……のちの家康公と結婚したのは、弘治3年(1557)頃。はっきりした生年が分からない瀬名ですが、没年からほぼ、家康公と同世代、ほぼ同年と考えられますので、15歳くらいの若夫婦でしょうか。
のちの三河国の領主となる元康を、今川一門へ取り込む政策としての結婚でした。

【まとめ記事】徳川家康公の物語 (家康公の生誕地・愛知県岡崎市)

信康の誕生と元康の岡崎帰還

信康の誕生と元康の岡崎帰還

家康公と瀬名が結婚して2年後、駿府にて待望の長男・信康が誕生。その翌年には長女・亀姫が誕生しました。文化の先進地であった豊かな駿府で、若く将来性のある夫と、可愛い子供に恵まれ、瀬名は幸福の中にあったのでしょう。

その運命を変えたのは、永禄5年(1562)、桶狭間の戦い。
織田信長の奇襲作戦で、今川義元は討死。尾張の大高城にいた元康は、命からがら脱出して、岡崎に帰還。そこで岡崎城を取り戻して、駿府に戻ることはありませんでした。
諸説ありますが、築山殿と、娘の亀姫は、この機会に岡崎に移ったといいます。しかし、長男の竹千代は駿府に残され、親子は離れ離れとなりました。
義元の跡を継いだ今川氏真の度量を疑問視した家康公は、独立。今川との長い縁を切り、尾張の織田信長との同盟を選びます。
が、それは、駿府に残した竹千代の命の危険を意味しました。家康公が幼い頃、敵対する尾張の織田家に送られ、明日をも知れぬ命を過ごしたように、今度は嫡男の竹千代が、この戦国の無情に晒されたのです。

竹千代の帰還と家族の再会

竹千代の帰還と家族の再会

家康公は、今川方の鵜殿氏の居城・上ノ郷城(蒲郡市)を攻め落とすと、鵜殿の二人の息子を捕らえ人質にしました。そして、今川氏真との決死の交渉の末、人質を交換するかたちで、2年ぶりに竹千代をその手に取り戻しました。
『三河物語』では、ひげをなびかせ誇らしげな石川数正の馬の鞍前に乗って、岡崎に向かう幼い竹千代の姿と、若君の帰還を心から喜ぶ三河の民の姿を、晴れ晴れと描いています。

岡崎での信康の屋敷は、久右衛門町にあったと、三河東泉記には記述されています。
また、市内の根石寺(根石観音)は信康初陣の際に戦勝祈願したゆかりの寺です。

『築山』はどこか

『築山』はどこか

岡崎での瀬名姫は『築山』の地に構えた屋敷で過ごしたことから、『築山殿』『築山御前』と呼ばれるようになります。
築山の場所は、現在の岡崎康生郵便局から西岸寺の辺りではないかと、以前の記事にまとめました。この場所には以前、築山稲荷という稲荷社があったのですが、大正時代に中町に移設されました。

松平家は徳川と名を改め、三河一向一揆などを経て勢力を拡大、三河を平定、戦国大名として着々と力をつけていきます。
その間、長男の竹千代は信康と名を改め元服、永禄10年(1567)、4歳の頃から婚約していた織田信長の長女・五徳と婚姻。織田と徳川の同盟関係を象徴する政略結婚でした。
そして、今川家との戦いに勝利して徳川家の勢力が広がり、家康公がその本拠を浜松城(静岡県浜松市)に移すと、大切な岡崎城を信康に預け、信頼する平岩親吉を補佐役につけます。西三河の家臣を統括する石川数正も、岡崎の信康を助けました。
まだ若き城主信康を後見するためだったのか、築山殿もまた、家康公の身の回りは他の妻に任せ、岡崎に残りました。

【あわせて読みたい】瀬名姫が「築山御前」と呼ばれる由来となった「築山」とはどこか -築山稲荷と総持尼寺-

『口寄せ巫女』築山殿の前に現る

『口寄せ巫女』築山殿の前に現る

(写真 中町に移転した築山稲荷)

浜松の家康公が東に領土を広げ、岡崎の信康が三河を守る。この二極体制が崩れ始めるのは、武田信玄公の没後、甲斐の武田勝頼と争っていた頃。
その代表的な事件が、岡崎城を巻き込んだクーデター、大岡弥四郎事件でした。
三河東泉記によれば、天正3年(1575)、築山殿が菅生の屋敷にいた頃、武田勝頼の指示で甲州より『口ヨセミコ』が数多く岡崎の町村に訪れて、築山様の下女から奥上臈に取り入り、ついに築山殿本人と対面した……とあります。
『口寄せ巫女』は歩き巫女と同じく、巫女の格好をしながら各地を放浪して、口寄せという御神託や占い、お祓いなどしていました。国境も自由に越えられ、余所者でありながら各地の家々に入り込み、悩みを聞きアドバイスをできるといった、諜報・扇動にうってつけの職業といえます。

口寄せ巫女は築山殿に、「信康が家康公を裏切り武田方につけば、武田勝頼が天下を取り、信康にその天下を譲る」と神託したと言うのです。

築山殿がどう返答し、いかに行動したかは記録されていません。しかしその頃、築山殿の主治医だった西慶(一般的には減慶と知られる)と、岡崎で奉行を勤めていた大岡弥四郎はじめとする岡崎の奉行たちで申し合わせて、勝頼より知行を確保された形で、謀反を企てたとあります

この大岡弥四郎、三河物語では「大賀弥四郎」と書かれ、三河東泉記には「大岡弥四郎と申すもの」と書かれています。家康公の馬取からはじまり、家康公が長瀬(岡崎市森越町)から大樹寺まで矢作川を渡ろうとした際、増水した川に一番に飛び込んで浅瀬を探した褒美に加増されたこと、能見(岡崎市能見町、岡崎城のすぐ北)に屋敷を拝領し、岡崎三人之町奉行の筆頭になったと記述されており、家康公の信任が厚かったはずの人物でした。

岡崎城を巻き込んだクーデター、大岡弥四郎事件

岡崎城を巻き込んだクーデター、大岡弥四郎事件

(写真 六本榎付近 江戸初期に磔場となった)

大岡弥四郎たちが企んだ謀反の作戦は、岡崎城より南に、のぼり旗を百本ほど立て、敵襲と間違えた岡崎城兵が南に出たところで、岡崎城北の大樹寺口に待機した武田軍を城内に引き入れてから、城外に放火、武田軍が岡崎城を制圧する……というものでした。

この謀反は結局、この謀反に参加するはずだった山田八蔵(重英)という武士が、家康公への裏切りへの良心の呵責から、謀反人のリストを平岩親吉に渡したことで、企みが露見しました。この山田八蔵重英は、一向一揆の際に門徒側として参加したものに、罪に問われることなく許された恩を家康公に感じていたそうです。

報告を受けた平岩親吉は、兵を引き連れ大岡弥四郎たちの屋敷に押し入り、反乱は未遂に終わりました。

大岡弥四郎事件のむごい結末、そして長篠の戦いへ

大岡弥四郎事件のむごい結末、そして長篠の戦いへ

(写真 大岡弥四郎の妻子はこのあたりで磔になったともいう)

捕縛された大岡弥四郎は『連雀(連尺)町大辻の此所』にて『竹ノコキリニテヒカレ』『念志原父子斗ハリ付にアガリ』と記され、本人もその家族も極刑にされたことがわかります。

竹ノコギリ引きとは、通行の多い場所に、罪人を首だけ出した状態で埋め、横に竹製のノコギリを置く。そして通行人が罪人の首を1回ずつ引いていくという刑罰です。斬れ味の悪い竹ノコギリなので簡単に首は落ちず、激痛を伴いながら数日後、大岡弥四郎は絶命したそうです。

大岡弥四郎がノコギリ引きされた『連尺の大辻』はどこか。
二十七曲り(東海道)が乙川北岸に引き込まれる以前の道は特定が難しいのですが、江戸時代の岡崎城下図を見ると、籠田公園の北西の交差点あたりに、連尺町の辻(十字路)が見られます。
また、後の江戸時代において『亀蔵とお福』伝説では六本榎(シビコ西側からアオキスーパーあたり)でした。刑場が引き継がれていたとしたらここかもしれません。

また、大岡弥四郎の家族がはりつけにされた『念志原』は、根石原、現在の根石学区の周辺でしょう。一説によれば、岡崎市東公園の道を挟んで反対側、小さな石仏のある一画が中世の街道沿いで、大岡弥四郎の一族が晒されたところと聞きます。

この大岡弥四郎事件は、代官たちの謀反であり、築山殿と信康は関与していないと思われます。

そして武田軍は進路を変え、吉田城(現在の豊橋市)、そして長篠城現在の新城市)への攻撃を開始します。
この大岡弥四郎事件の失敗が、長篠の戦いに繫がるのです。

<後編>【どうする家康★記念連載】第十回 信康事件とは 徳川家の悲劇、その思いと苦悩を越えて

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岡崎市内にある信康・築山殿関係の史跡・供養塔などは、続く記事で詳しく説明します。

築山殿関連
・八柱神社
・祐伝寺
・地蔵院

信康関係
・若宮八幡宮
・根石寺

文 / 岡崎歴史かたり人の歴女

写真 / けろっと氏

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