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[ 企画 ]
2023-01-07
【大河ドラマ★記念連載】徳川家康公の物語 まとめ(家康公の生誕地・愛知県岡崎市)
徳川家康公が生れた愛知県・岡崎市。
市内の各地に残されたゆかりのスポットと共に、徳川家康公にまつわるお話をご紹介します。
三河の英雄と呼ばれた家康公の祖父、生涯を翻弄されつつも岡崎を愛した父、そして数々の苦難に見舞われつつも泰平の世の礎を築いた家康公の三代にわたる物語を収録しています。
歴史をこよなく愛する二人の公認ライターさんによる記事と写真は、家康公の足跡を丁寧に描いています。
偉人達の背景を知り、大河ドラマを120パーセント楽しみましょう。
【どうする家康★記念連載】第一回 三河・幻の英雄 家康公の祖父・松平清康
『どうする家康★記念連載』では、令和5年度大河ドラマの放送を記念して、徳川家康公の生誕地である岡崎の家康公と三河武士ゆかりのエピソードを連載していきます。
第一回で取り上げるのは、家康公の祖父・松平清康。
三河の英雄と呼ばれ、あと10年生きたら天下人になったと称された松平清康は、この岡崎のまちと、どういうに関わりがあるのでしょうか。そして、岡崎が家康公生誕地となった経緯を辿っていきます。
【どうする家康★記念連載】第二回 岡崎を愛した苦難の人 徳川家康の父・松平広忠
第二回は、家康公の父・松平広忠。
故郷を追われ、岡崎に戻ることを懇願し、波乱にまみれた、松平家八代目当主の短い生涯を見つめてみます。
家康公の父、広忠が注目を集めたのは、山岡荘八の小説『徳川家康』でしょう。
この物語の序盤は、父・広忠と母・於大の方の、愛と別離が描かれています。その際、母・於大の方は聖母のような女性と描かれ、対比するように、父・広忠は、愚かで癇癪持ちの狂人のごとく描写され、自滅するように禍根で殺されました。
しかし、たとえば三河物語には『慈悲深く情けも哀れみも深い』とその人柄が表現され、家臣をとても大切に思う姿が描かれています。
岡崎市内に、松平広忠の墓と呼ばれる供養塔は、いくつかあります。
墓は、生きている人間が作るもの。この岡崎にはそれだけ、広忠を慕った人々がいたのでしょう。
【どうする家康★記念連載】第三回 家康公は岡崎城のどこで生まれたのか知っていますか
第三回の今回は、ついに家康公の生誕に迫ってみましょう。
尾張の織田と駿府の今川の争いに巻き込まれた戦国乱世に産声を上げた家康公。
さて、徳川家康は岡崎生まれ、というのは岡崎の人の誇りであり、岡崎市民なら誰でも知っていると言っても過言ではないのですが、岡崎のどこで生まれたのか。
これも、岡崎の人ならば『岡崎城』と答えられる方が多いと思います。
それでは、岡崎城のどこで生まれたのか?
ここまで突き詰めると、知っている人はぐっと減るのではないでしょうか。
岡崎のあちこちにある家康公の言い伝えの中から、まずは岡崎公園周辺から、家康公生誕の日に想いを馳せてみましょう。
【どうする家康★記念連載】第四回 竹千代、岡崎に遊ぶ まちに残る竹千代の足跡
第四回では、岡崎城を離れ、まちに残る竹千代の伝説を追ってみましょう。
岡崎城で誕生した竹千代は、人質として尾張に、そして駿府の今川氏に送られました。年は数えで8歳といいますから、満年齢ではまだ6歳。現在で言えば小学校1年生頃には、この岡崎の地を離れたことになります。そして10年以上もの間、生まれ育った岡崎を離れています。
それでも、この岡崎は家康公生誕のまち。幼き竹千代の足跡とも言える伝承がいくつも残されています。
【どうする家康★記念連載】第五回 厭離穢土欣求浄土 家康公、岡崎への帰還
第5回では成長し青年となった家康公が、懐かしい岡崎に帰還、独立するまでの物語を綴ります。
人質として、辛い臣従の日々を送ったと思われがちな竹千代ですが、駿府での少年期には奔放なエピソードが残っています。
今川の重鎮たちの前で立ち小便、鷹狩に憧れ、モズを鷹の代わりにしようとしてもうまく行かず癇癪を起こし、親しい小姓を蹴り落とした。河原で石合戦をする子供たちを見学して講釈をした等、伸び伸びと屈託なく育っていたようです。
【どうする家康★記念連載】第六回 三河一向一揆とはなにか 家康公の危機!三河武士の大分裂【前編】
2月後半より、ドラマは永禄6年『三河一向一揆』をテーマに扱うことになりました。
三河一向一揆とは、当時岡崎城に在城した家康公と、その領地である西三河地方の浄土真宗本願寺派の寺院を中心とする【反家康勢力】との内乱を指します。
三河一向一揆の発端と原因、その結末について、今回の前編と次回の後編の2回に分けて語っていきたいと思います。
⑥第六回 三河一向一揆とはなにか 家康公の危機!三河武士の大分裂【前編】
【どうする家康★記念連載】第七回 三河一向一揆【後編】一揆の終焉 この危機をどうした!?家康公
大河ドラマ『どうする家康』で扱われる、私たちの暮らす岡崎市や西三河を二分した内乱、『三河一向一揆』。
三河一向一揆とは、当時岡崎城に在城した家康公と、その領地である西三河地方の一向宗と呼ばれた寺院勢力を中心とした【反家康勢力】との内乱を指します。
前回、第六回の連載で、三河一向一揆の発端と原因について書いてきました。
第七回の後編では、その結末と、三河の浄土真宗のその後について語っていきたいと思います。
第七回 三河一向一揆【後編】一揆の終焉 この危機をどうした!?家康公
【どうする家康★記念連載】第八回 家康公の改名の履歴 ーそして徳川家康になるー
その生涯において、幾度も名を変えた家康公。
第八回では、我々の馴染みの深い『徳川家康』になるまでの経緯を辿ってみましょう。
現代に生まれた我々は、ほぼ一生、名前が変わることはありません。
もちろん、芸名や雅号、ペンネーム、ハンドルネーム、SNSのアカウント名、オンラインゲームのキャラクター名など、現代に生きる我々にも、様々な別名を持つ機会があります。
かつての日本人は、情勢や人間関係など様々な理由で名が変わることがありました。
我らが徳川家康公も、少年期から青年期に至るまで、何度もその名を変えています。
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【大河ドラマ★記念連載】徳川家康公の物語 まとめ(家康公の生誕地・愛知県岡崎市)
- その他
- 文 / 岡崎歴史かたり人の歴女
家康公と三河武士をこよなく愛する歴史マニア。岡崎の歴史遺産をご案内する観光ガイド『岡崎歴史かたり人』として、日々街の魅力や歴史の面白さを、熱く語っています。
写真 / けろっと氏
カメラと歴史とロックとコーヒーを愛する生粋の岡崎人。Twitterで活動中。