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[ 歴史・石碑 ]
2023.01.06
【徳川四天王物語②】徳川家の諸葛孔明と謳われた武将「酒井忠次(さかいただつぐ)」
忠次、知勇絶倫
家康に仕えて開国の元老たり
且つ軍国の事は悉く忠次に任せられけり(名将言行録)
康生の新しいランドマーク、桜城橋。そのすぐ南側の『天下の道』に設置された戦国武将の石像は、徳川四天王と呼ばれた家康公の最も重要な家臣たちです。
この記事は、corin『まちかど歴史話』として掲載された徳川四天王の特集記事を加筆再編集してお送りします。
さて、今回取り上げるのは、徳川四天王の筆頭・酒井忠次。
質実剛健の本多忠勝、知勇兼備の榊原康政、猪突猛進の井伊直政…徳川四天王の他の三人と比べて、酒井忠次はこう!というイメージをお持ちでしょうか?
家康公の時代に生きた酒井忠次、そして、後世の人々が彼をどういう人物として捉えたのかを考えていきましょう。
徳川四天王のスーパーエリート
(写真は、酒井忠次生誕地とされる井田城址/井田町)
酒井忠次のプロフィールを紐解いてみると、松平・徳川家の最初期から、最も近くで支えた『酒井左衛門尉家』に生まれ、家康公より十五歳年上。
正室は家康公の父・広忠公の妹である薄井姫、ということで、家康公の叔父にあたります。
生誕は現在の岡崎市内、井田城と伝えられていて、岡崎城よりまっすぐ北。大樹寺と岡崎城のちょうど中間点にあたり、城の北を守る要所でした。
家康公が駿府に人質に出されている間は、岡崎の奉行のひとりとして城を守り、家康公を岡崎に迎え入れてからは、山中城や吉田城など、重要な城を預けられました。
東三河一帯の武将をまとめる旗頭として内政を、織田家との交渉役として難しい外交もこなしつつ、いざいくさになれば、優れた作戦を立て戦功を挙げる、八面六臂のスーパーエリートだったのです。
酒井の太鼓
(写真は、酒井忠次も城主を勤めた、山中城/岡崎市舞木)
酒井忠次といえば最も有名なのは、『酒井の太鼓』と呼ばれる、三方ヶ原の戦いのさなかのエピソードです。
遠州(今の静岡県浜松市)三方ヶ原で、武田信玄との直接対決に敗れた家康公と三河武士たちは敗走、這う這うの体で、居城・浜松城に逃げ帰りました。
すぐに武田軍は、浜松城まで攻め込んで来るでしょう。しかし、浜松城の城門をあえて開け放ち、かがり火をこうこうと焚きました。逃げ帰る味方が、無事城に戻れるように。
やぐらに登った酒井忠次は、城外まで広く届くように力強く、太鼓を打ち鳴らしました。
敗走する徳川軍を追い、浜松城までやって来た武田軍の猛将・山県昌景が、猛々しい太鼓の音に気付くと、敵軍を迎えるように城門は開かれています。何かの罠か?実は伏兵がいるのでは?と疑心暗鬼になった山県昌景は、攻撃を取りやめました。
実際には徳川に余力はなく、もし攻められたらあっけなく落城していたことでしょう。
徳川家の『孔明』
(写真は、酒井忠次を支え続けた正室・碓井姫の墓。碓井姫は松平広忠の姉妹で、家康公の叔母にあたる/岡崎市元宿町・法蔵寺)
家康公の窮地を救った、酒井忠次の知略と豪胆さをあわせて語るこの武勇譚、実は、後世の創作であるとも言われています。
この物語は、三国志演義の空城の計のエピソードに酷似していて、その主役は伝説の軍師、諸葛亮孔明。後世の人々は、伝え聞く酒井忠次の智と軍略を、かの孔明になぞらえたのでしょう。
酒井忠次はこの他、講談『湯水の行水』で喧嘩を始めた三河武士を笑い飛ばすことで止め、道理を持って諭すエピソードや、武田家から送られた侮辱的な和歌を上手に読み変え返歌をつくり、武田の首を切るべく門松の竹の先を斜めに切り落とした話など、頭の回転を誇る物語を持っています。
史実に基づいた逸話を見ると、長篠の戦いの際に鳶ノ巣山砦の奇襲を提案して、織田信長から「まるで背に目を持つが如き」と賞賛されたり、なかなか降伏しない敵方に、自分の娘を人質に送ることで、無駄に戦いをせず開城に導いたりと、理知的な姿が。
また、御子孫に大切に伝えられた遺品の数々からは、教養と芸術的センスに優れたさまが伺えます。
そのうえ、宴席では『えびすくい』という踊りを得意としたというのです。大切な同盟相手である北条氏政にもこの『えびすくい』の舞いを堂々と披露。褒美に鯛を一匹与えられると「皆様、えびで鯛を釣りましたぞ!」と自慢して、場を沸き立たせたといいます。
酒井忠次に勇ましく太鼓を叩かせ、武田軍を撤退させる物語は、その文武に優れ知略に長け、家康公の側で徳川のためにその才能を惜しみなく発揮した生き方の、象徴とも言える姿なのではないでしょうか。
いま現在、岡崎で『酒井忠次』に会うならば、桜城橋のたもとに立つ、酒井忠次の石像に足を運んでみましょう。
酒井忠次の石像は、浜松城で、いざこれから太鼓を勇壮に打ち鳴らそうというその瞬間を切り取った傑作。
『色々威胴丸具足』という、現存する酒井忠次所用の、多色の緒で飾られた派手派手しい甲冑を、モノクロの御影石という素材の上に、繊維の流れまでを手作業で彫刻することで鮮やかに再現し、力強く一歩踏み出した足の、わらじの結び方ひとつまでリアルに造形。
厳めしい表情、顔の筋肉の張りや皺の一つ一つに、職人の細密な技巧で、石都岡崎に蘇った酒井忠次の『身』です。
かつての酒井忠次の姿を象徴すべく生まれた、酒井の陣太鼓の伝説は、講談や歌舞伎、小説、ドラマ、ゲームなど担い手を変えつつ、その雄姿を伝え、令和の岡崎でまた新しい心身を得て、貴方との出会いを待っています。
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文 / 岡崎歴史かたり人の歴女
家康公と三河武士をこよなく愛する歴史マニア。岡崎の歴史遺産をご案内する観光ガイド『岡崎歴史かたり人』として、日々街の魅力や歴史の面白さを、熱く語っています。
写真 / けろっと氏
カメラと歴史とロックとコーヒーを愛する生粋の岡崎人。Twitterを中心に活動中。