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2022.10.13

【どうする家康★記念連載】第四回 竹千代、岡崎に遊ぶ。 まちに残る竹千代の足跡

令和5年度大河ドラマ『どうする家康』の情報が届き始めたこの頃ですが、『どうする家康★記念連載』ではその放送を記念して、生誕地である岡崎で、家康公と三河武士ゆかりのエピソードを連載していきます。


先の記事では、竹千代・後の徳川家康公の誕生を書きました。
第四回の今回は、岡崎城を離れ、まちに残る竹千代の伝説を追ってみましょう。


岡崎城で誕生した竹千代は、人質として尾張に、そして駿府の今川氏に送られました。年は数えで8歳といいますから、満年齢ではまだ6歳。現在で言えば小学校1年生頃には、この岡崎の地を離れたことになります。そして10年以上もの間、生まれ育った岡崎を離れています。
それでも、この岡崎は家康公生誕のまち。幼き竹千代の足跡とも言える伝承がいくつも残されています。

前記事 第三回 家康公は岡崎城のどこで生まれたのか知っていますか

母・於大の方の祈り

母・於大の方の祈り

竹千代の母、於大の方が、父・松平広忠と離縁したのは、竹千代3歳の11月、満年齢では2歳11ヶ月です。竹千代に母の記憶があったのか、定かではありません。ですが20年後、竹千代が青年となり岡崎城に戻った際には於大の方と、その再婚相手である義父・久松俊勝を岡崎城に招き入れています。離れていても、母への敬愛の意識はとても高かったのでしょう。

岡崎市中町の大泉寺は、天文12年、竹千代の生まれた翌年に、於大の方が安産祈願をしたという念持仏の薬師如来を本尊として創建したといいます。
そして、本堂の裏、墓地の最も高い位置の墓には、於大の方の遺髪を納め、大切に供養されています。於大の方が亡くなったのは遠い江戸の地でしたが、ゆかりのこの岡崎でも、於大の方の冥福を祈りたかったのでしょう。

ところで、この寺の本当の名前は『大仙寺』だったそうなのですが、家康公から寺宛に届いた書状に「大泉寺」と書かれていたので、公がそうお認めならば……と改名したそうです。家康公ほどの偉人ともなれば、誤字すらも記録に残ってしまうのですね。

竹千代、岡崎に泳ぐ

竹千代、岡崎に泳ぐ

東岡崎駅から明大橋を渡って、モダン道路沿いすぐ右手に見えるのが善立寺です。
家康公の祖父・清康公の頃に、安城からこの岡崎に建物ごと移築された寺院で、国の有形登録文化財に登録されています。本堂の柱には、移築のため、建物を解体して川で運んだ際についた傷なども残っているそうです。

竹千代は、菅生川(乙川)で川遊びをしたあと、この寺でよく一休みしていったそうです。
家康公は健康維持のため、年を取ってからも水練(水泳)を続けたといいますが、そのルーツはここ善立寺にあるのかもしれません。

寺内には、家康公お手植えの梅もあり、春になると美しい花を咲かせるそうです。

竹千代、弓術に励む

竹千代、弓術に励む

武家に生まれた竹千代は、武芸の稽古も欠かしませんでした。
現在は藤の花で有名な徳王稲荷金毘羅社には、この地にいた本間氏が家康公に弓弦を献じた、という伝承があります。文字通り読めば、弓の弦を差し上げたということですが、物だけではなく、おそらく弓を扱う技術も献上、つまり、弓の指導をした、とも取れるのではないでしょうか。

そして、籠田公園からほど近い誓願寺には、家康公が弓の稽古をした後に座って休憩したという石、『虎石』があったと言います。
弓は扱うことがむずかしく、一朝一夕では身に付きません。
のちに武芸の達人となり『海道一の弓取り』とうたわれた家康公は、幼いころから修錬に励んでいたことがわかります。

竹千代、勉学に励む

竹千代、勉学に励む

(写真は法蔵寺の賀祥水 この水で墨をすり、手習いをしたと伝わる 現在も水が湧いている)

本宿町にある法蔵寺では、竹千代が手習いをするため学んだという伝承があり、竹千代が墨を擦った水を汲んだ井戸、書き終わった半紙を干した松、そして竹千代直筆の書が、大切に守られています。

直筆と言う書には、

奉納尊前 松 竹千代 武運長久

と、署名とこの一年の願文が、生き生きとした筆致で描かれ、小さな手形まで押されています。
後に書かれた日付は天文十八年正月吉日とあり、数えで八歳、満年齢にすれば6歳ほど、小学生一年生くらいの頃かと思うと、文字にも小さな手形にも愛おしさも感じます。

さらに、手習いの最中に落書きをしたという文机まで大切に保管されていて、法蔵寺にいた竹千代ののびのびとした学びを感じる事ができます。

少年竹千代の生きた岡崎

少年竹千代の生きた岡崎

幼き家康公・竹千代が岡崎で過ごした時期はあまりに短く、その青春時代のほとんどは、駿府の今川義元の元で過ごしました。

大河ドラマの『どうする家康』では、幼少の頃はあまり描かれないかもしれません。

それでも、岡崎の人々は、活き活きと過ごしていた幼き若君の思い出を、家康公と岡崎との繋がりとして大切に記憶して記録し、伝承として今の私達に伝えてくれています。
地域には『竹千代通り』や『竹千代橋』など、幼少の家康公に想いを馳せてつけたものがたくさんあります。

少年竹千代は、たしかにこの岡崎の地を駆け、岡崎の土地に育まれていたのです。

文 / 岡崎歴史かたり人の歴女
家康公と三河武士をこよなく愛する歴史マニア。岡崎の歴史遺産をご案内する観光ガイド『岡崎歴史かたり人』として、日々街の魅力や歴史の面白さを、熱く語っています。

写真 / けろっと氏
カメラと歴史とロックとコーヒーを愛する生粋の岡崎人。Twitterで活動中。

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