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2025-01-25

【corin30特集】岡崎市・開市500年記念特集③ 商いの礎を築いた一時代

岡崎市の開市から500年。
康生を中心としたこのエリアは、約500年の長きに渡り、「商いのまち」が続いています。

今回は、岡崎城下のまちを流通・商業・政治の面で効率化させた、田中吉政のまちづくりをご紹介します。

ぜひ最後までご覧ください。

【前回の記事】「岡崎市・開市500年記念特集② まちのルーツを探ってみよう!」を読む

江戸時代、当時の岡崎を日本有数の商業都市へと成長させた、田中吉政の都市計画

江戸時代、当時の岡崎を日本有数の商業都市へと成長させた、田中吉政の都市計画

天正十八(1590)年、徳川家の所領は関東となり、家康公は関東へ移ります。
代わって岡崎に入ったのは豊臣方の武将、田中吉政でした。

新たな城主となった田中吉政は、岡崎の城下を当時最新式の『総構え』に大改造します。
城だけでなく、商業地区、町屋など民間人の住まう町も含めて、外周を堀や土塁で囲い込んだのです。
これにより、岡崎城の城郭は東にぐっと広がり、現在の籠田公園や天下の道のあたりまでが『城内』になりました。

さらに、城の北側にあった天神山を削り、新たに職人の町・材木町が作られ、削った山の土で城の西側を埋め立て、田町や板屋町などの新しい町が新設されます。
魚町とあわせて食料品や塩、木綿、薬など、ここで生活に関わるほぼすべての店舗が揃いました。そして、これまで乙川の南側を通っていた街道を城内に引き込んで、防衛のために二十七回も曲がる『二十七曲り』(後の東海道)を整備し、これらの商店にたくさんの人を誘導したのです。

また、矢作川にはこの頃初めて橋が架けられます。
矢作橋は何度も架け替えられた後、二百八間(378m)と東海道で最も長い橋となり、岡崎を象徴するランドマークとなります。
城の西側には新たに伝馬町が開かれ、宿場町として岡崎随一の賑わいを誇りました。

田中吉政の画期的な開発とその後の城郭整備で、江戸時代の岡崎は、街道有数の都市へと成長していきました。

【あわせて読みたい】お久しぶりです。いま、ここにいます。 -田中吉政像の現在-

この地に多大な影響を与えた、画期的なまちづくり。

この地に多大な影響を与えた、画期的なまちづくり。

【01.最初に市が始まった連尺通】最初に楽市が開かれたのが、現在の連尺通りの辺り。商いの中心地として発展していく。
【02.オモテナシの飯盛り女】街道の旅籠屋で給仕をする女性。岡崎の飯盛り女はとても人気が高かったという。
【03.疲れた時は、あわゆき茶屋】旅人がちょっと休憩する時に立ち寄ったのが、あわゆき茶屋。淡雪のように柔らかい豆腐に葛餡をかけた、あわゆき豆腐がおススメ。
【04.城勤めの武士の居住区、武家屋敷】現在の康生通り一帯は、江戸時代には武家屋敷だった。ここからお城に出勤。職場まで徒歩5分の、便利な城近物件。

【05.五万石でも岡崎様はお城下まで舟が着く】小唄「五万石」でも歌われるように、お城から歩いてすぐのところに船をつけられる場所があるのは、城下町の人たちにとっての自慢だった。
【06.職人たちのまち、材木町】山を切り開いて出来た材木町には職人が集まり、鍋などの日用品から仏壇、刀までなんでも作られていた。
【07.矢作橋は、一大観光名所】天下第一の長橋とも称される矢作橋を一目見ようと、多くの観光客が訪れた。浮世絵のモチーフとしても大人気。

岡崎に集まる行商人たちは、豊かさの象徴 「ふくら雀」と親しみを込めて呼ばれていた

岡崎に集まる行商人たちは、豊かさの象徴 「ふくら雀」と親しみを込めて呼ばれていた

『ふくら雀』は、連尺町のシンボルマークの鳥。歩道に配置されたボラードなど、連尺通りのあちこちで見ることができます。

『ふくら雀=福良雀』と書き、一般的には、冬の日に羽をふくらませた雀のことで、寒さをものとしないふっくら温かな姿から、飢えることのない豊かさや繁栄を象徴する縁起物といわれます。

しかし、連尺町の『ふくら雀』は、おそらく“レンジャク”と総称される鳥のことでしょう。
レンジャクとは、スズメ目レンジャク科レンジャク属の冬に群れで移動する渡り鳥です。

木製の背負い籠を背負った商人の姿がこのレンジャクの特徴的な形の翼を連想させたことから、行商人を連雀衆などといいました。
背負い籠に商売品をぱんぱんに詰め込んで、遠くの町から岡崎の町をめざして集まってくる連尺商人たちの姿を渡り鳥にかけて、『ふくら雀』と呼んだようです。

安政四年、連尺町が氏子を勤める甲山八幡宮の祭りちょうちんに『ふくら雀』が描かれたのが始まりで、富と繁栄をあらわすふくふくとした姿に、連尺の町の発展を願ったのでしょう。

◆文/小辻 裕子さん
◆写真/けろっとさん

田中吉政の都市計画によって発展した岡崎城の城下町

今回は、主に江戸時代の岡崎市をご紹介しました。

当時の岡崎市を日本有数の商業都市へと成長させた田中吉政の都市計画。

現在の岡崎城から籠田公園までは、約800mと少し離れた場所にあります。
そんな遠い場所までもを岡崎城内となるよう大改造したのですから、田中吉政の計画はかなり大規模だったと言えるでしょう。

また、城下町として挙がる岡崎城近隣の町も、この頃にできたところがいくつかありました。
現在の材木町・田町・板屋町などがそれに当たります。
こちらは比較的岡崎城に近い場所にありますから、それまで存在していなかったことが驚きです。

田中吉政の都市計画により、栄えていく岡崎市の城下町。
今後も商業の栄えるまちとして存在し続けてほしいものです。


次回は、岡崎の歴史から見る伝統産業をご紹介します。

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