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[ 歴史・石碑 ]

2023.04.12

【徳川四天王物語まとめ】徳川家康公の天下取りを支えた4人の忠臣たち

「徳川四天王」とは、安土桃山時代から江戸時代初期に、徳川家康公の側近として忠義深く仕えて、江戸幕府の開設に大きく貢献した「井伊直政」、「酒井忠次」、「榊原康政」、「本多忠勝」の4名の武将を指します。

徳川四天王という呼ばれ方をしたのがいつ頃なのかは定かではありません。
1590年の徳川氏の関東移封から1600年の関ヶ原の戦いまでの時代に、武功はもとより、内政、外交戦略など、幕府の基礎固めに対して中心になって活躍した「井伊直政、榊原康政、本多忠勝」が「徳川三傑」と称されました。
ここに家康公の右腕である酒井忠次を加えた4名が、のちに徳川四天王と呼ばれるようになったと言われています。

徳川家康公の天下取りの道は前途多難で決してたやすいものではありませんでした。それでも天下統一という大きな目標に向けて邁進し続けられたのは、忠義に厚い家臣たちに恵まれていたからにほかなりません。

この「徳川四天王物語」では、徳川家康公を献身的に支えることで歴史に名を遺した4名の武将にスポットライトを当て、紹介していきます。
それぞれの武将紹介の下に貼ってある『記事のリンク』から、四天王にまつわる物語を読むことができるので、彼らがどのような人柄を持ち、家康公の天下取りの手助けを行ったのかをご覧いただけると幸いです。

戦国最強と呼び声の高い名槍の使い手「本多忠勝」(ほんだただかつ)

戦国最強と呼び声の高い名槍の使い手「本多忠勝」(ほんだただかつ)

本多忠勝 (1548年 - 1610年)
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられた家康の功臣として、また、幕末に岡崎藩主を勤めた忠勝系本多家宗家初代として、現在も顕彰されています。

 鹿角の兜と銘槍・蜻蛉切をトレードマークに、人生五十七回の戦において一度も傷つかず、戦国最強の名をほしいままにした三河武士の生きざまと、この岡崎との深いつながりとは
(詳細記事はコチラから↓↓↓)

【徳川四天王物語①】戦国最強と呼び声の高い名槍の使い手「本多忠勝」

徳川家の諸葛孔明と謳われた武将「酒井忠次」(さかいただつぐ)

徳川家の諸葛孔明と謳われた武将「酒井忠次」(さかいただつぐ)

酒井忠次 (1527年 - 1596年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将であり、徳川氏の家臣。
徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられています。

質実剛健の本多忠勝、知勇兼備の榊原康政、猪突猛進の井伊直政…徳川四天王の他の三人と比べて、酒井忠次はこう!というイメージをお持ちでしょうか?
 
家康公の時代に生きた酒井忠次、そして、後世の人々が彼をどういう人物として捉えたのかを考えていきましょう。

(詳細記事はコチラから↓↓↓)

【徳川四天王物語②】徳川家の諸葛孔明と謳われた武将「酒井忠次」

知勇兼備の武将と称された「榊原康政」(さかきばら やすまさ)

知勇兼備の武将と称された「榊原康政」(さかきばら やすまさ)

榊原康政(1548年 - 1606年)
上野国館林藩の初代藩主であり、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる徳川氏の家臣。現在も家康覇業の功臣として顕彰されています。

知勇兼備の武将と呼ばれ、人品最も高しと称された榊原康政の生きざまはどのようなものだったのでしょうか。その生涯に迫ってみたいと思います。

(詳細記事はコチラから↓↓↓)

【徳川四天王物語③】知勇兼備の武将と称された「榊原康政」

赤揃えで戦の先陣を駆けた「井伊直政」(いい なおまさ)

赤揃えで戦の先陣を駆けた「井伊直政」(いい なおまさ)

井伊直政 (1561年 - 1602年)
徳川四天王の最年少・井伊直政は、没落した井伊家を立て直し、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されています。
赤備えという真っ赤な具足を身にまとい、猪突猛進、大河ドラマ『女城主直虎』でも井伊家の御曹司として若く美しく苛烈な印象で描かれていました。

 戦に出れば味方と先陣を争い、その具足は常に傷だらけだったという直政のたどった人生を、見つめてみたいと思います。

(詳細記事はコチラから↓↓↓)

【徳川四天王物語④】赤揃えで戦の先陣を駆けた「井伊直政」

徳川家康公像へと続く「天下の道」で主を見守る、徳川四天王像

徳川家康公像へと続く「天下の道」で主を見守る、徳川四天王像

東岡崎駅に設置された、若き日の姿の徳川家康公像

桜城橋から籠田公園に続く中央緑道。

東岡崎駅のペデストリアンデッキに設置された、25歳の若き『徳川家康公像』から、岡崎市民の心象風景・菅生川(乙川)沿いを歩き、かつて岡崎を代名詞だった矢作橋を模した『桜城橋』を渡るとたどり着くそこは、家康公の足跡を連想させるように『天下の道』と名付けられました。

家康公が天下たどり着くまでに奮戦した徳川武将の代表格が、『徳川四天王』と呼ばれる四名の戦国武将です。
酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。生い立ちも性格も様々な彼等四名が競い合い、友と呼び合いながら、共に同じ理想を追い求めていく様は、多くの歴史ファンの心を捉え、愛されています。

そんな彼等の最も輝いた姿を、岡崎の特産である御影石に刻み込んだものが、徳川四天王像です。天下の道(中央緑道)に設置されたその石像は、実在する甲冑を背中まで忠実に再現した姿だけでなく、それぞれが一番輝いた逸話の一シーンを切り取った、人物像を越えた四つの物語となっています。


本多忠勝は、一言坂の撤退線で、ひとりの味方も残すことなく撤退した『家康に過ぎたるもの』

酒井忠次は、計略と胆力ひとつで、武田の軍勢を退け、落城寸前の城を守った『酒井の太鼓』

榊原康政は、その情熱と冷静な知性で、徳川の正義を高々と掲げた『十万石の檄文』

井伊直政は、関ヶ原の戦いで先陣を駆け抜け、徳川の勝利の幕開けとなった『井伊の赤鬼』

家康公が生誕し、歩き出したこの岡崎に立つ、徳川武将たちの雄姿です。

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文 / 岡崎歴史かたり人の歴女
家康公と三河武士をこよなく愛する歴史マニア。岡崎の歴史遺産をご案内する観光ガイド『岡崎歴史かたり人』として、日々街の魅力や歴史の面白さを、熱く語っています。

写真 / けろっと氏
カメラと歴史とロックとコーヒーを愛する生粋の岡崎人。Twitterを中心に活動中。